ある事柄や事象に対しての意見Aと意見Bを並べて開示することを両論併記といいます。
この両論併記については是非が分かれています。私は是であるべきだと考えていますが、まずは先に非とする方の意見を参照してみましょう。
両論併記を非とする意見
「両論併記」で検索すれば政治社会学者の堀内進之介さんのコラムが上位に出てきます。メディアによる両論併記は時に偽りの天秤となるという趣旨のコラムです。根拠の無い批判や意見を盲目的に取り上げることで憂慮すべき事案から多くの視聴者を遠ざける力を発揮してしまう危険があるため、ジャーナリストは安易な両論併記に走らず報道すべき適切な情報を判断すべきという内容です。
多くの論客が様々なテーマを題材として両論併記の是非に関して議論をしていますが、今回は一つの事例として気候変動で説明しましょう。
現在の気候変動は人為的な二酸化炭素の排出増加によるものだという意見は科学的にコンセンサスが取れているとされています。しかしながら当然これにも反論意見があります。
この場合、ジャーナリズムは両論併記するべきか否か。
非とする立場からすれば、気候変動への懐疑論を開示することは気候変動への対策を遅らせて適切な警告を阻害する有害なことであり、避けるべきだとしています。正しい情報を流すことがジャーナリストの使命だということです。ジャーナリズムの世界にいる人間として正しい倫理観や使命感でしょう。
両論併記を是とすべき理由
しかし両論併記を是とする私としては、まずその根拠をどう判定するかを問題と考えています。つまり、正しい情報というのを決めるのは誰なのでしょう。
率直に言ってしまえば、正しい情報を決めるのは「権力者」です。専制政治の国家であれば君主がその決定権を持っています。封建制であれば各領主が物事の是非を判断します。王様がカラスは白いと言えば、実態がどうであれカラスは白くなるのです。
そのため、私たちの住む民主制国家では民衆こそがその権限を持っていなければいけません。民衆が多くの情報を受け取ってその是非を判断できるようでなければ民主主義とは言えないのです。エスタブリッシュメントやジャーナリストが情報の選別をして「正しい情報」のみを民衆に与えるのは独裁政治や専制政治となんら変わりありません。
先の気候変動でいえば、
【賛成意見】
査読論文の97%が人為的気候変動に賛成しており、コンセンサスが取れている
のみでなく、
【反対意見】
論文の査読において人為的気候変動を否定する論文は弾かれている
そもそも人為的気候変動の否定は研究価値が無いため論文がほとんど無い
という意見があることも併記すべきです。それが正しかろうとそうでなかろうと、そういう意見があることは事実なのですから。各研究者や調査機関の研究結果や識者の意見を見て、そのうえで国民が是非を判断して初めて民主主義が成立します。
民主制国家においてジャーナリズムを行うのであれば記者の見識は両論併記の上で述べるべきです。情報の正誤も確かに重要ですが、片方が誤っているとジャーナリストが考えるのであれば提示した後に「これは誤っている」と言えばいいのです。ジャーナリストの優れた見識であれば民衆は正しい意見に同意するでしょう。
しかし片方の意見しか開示しないのであれば疑義を差し挟む余地がなく、情報統制や検閲の誹りを受けるのも致し方ありません。
余談
なお検閲は「行政が主体」となって行うものと定義されていますが、それは行政が圧倒的な権力を持っているからこそ、その権力に制限を持たせるための市民の自由として存在する言葉です。逆に言えば現在はジャーナリズムが行政をも検閲できる時代になっている、圧倒的な権力を握り始めていることの証左といえるのではないでしょうか。