忘れん坊の外部記憶域

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若手に伝えたい納期の意味

 納期とは読んで字の如く、「納める期日」、つまり〆切のことです。漫画家や小説家がよく追われているものですね。若い社会人と話していると様々な認識の違いを感じますが、その中でも最たるものの1つがこの納期に対する意識だと考えています。

 子どもの頃は漫画家が〆切に追われててんやわんやしているシーンを見てギャグシーンだと思っていましたが、年を取った今では共感のほうが先行するようになりました。「なぜ彼らが〆切を守ろうとするのか」を理解できるようになったからです。

インド人と納期 

 納期に関してはインドのニューデリーにある地下鉄のエピソードを思い出します。この地下鉄は日本のODAによって建設されました。建設当時のインド人技術者トップが2005年に麻生外務大臣(当時)に語った話です。

 日本の労働文化では今でも変わらず、この「納期を守ること」が美徳とされています。

 時々、日本の労働時間に関する感覚や労働文化を馬鹿にする言説があります。確かに過労死するほど労働するのは問題ですが、全てを否定してしまうのはもったいないです。国土にロクな資源が無い日本がグローバル社会で生き残るには労働に頼らざるを得ないところがあるのですから。

約束と信用 

 なぜ納期を守ることが大切なのか、簡単にですが順を追って説明をしてみます。

 世の中を見渡すとありとあらゆる社会構造、それこそ小さいコミュニティから国家、動物の群れに至るまで、社会という組織構造を持つものは全て「約束」とそれを果たす「信用」から成り立っていることが分かります。法律やルール、暗黙の規範やボスへの服従など、社会組織の構成員が全てそれらの「約束」に従って行動すると「信用」しているからその社会は回っているのです。

 猿山のボスであるオス猿や、プライドのボスであるオスライオンはその中では最強ですが、全てのオス猿やオスライオンと同時に戦って勝てるわけではありません。彼らの群れでの約束事である「ボスへの挑戦は個別に行う」「負けた場合は群れから抜けるかボスに従う」といったことが守られなくなった場合、ボスの仕組みは失われて彼らの社会は雲散霧消してしまいます。

 自然淘汰の世界において様々な「約束」に基づいて互いを「信用」するようになった集団は組織化して強固になることで生き残ることができましたが、「信用」を失った集団は駆逐されて滅び去っていきました。

 集団とはただそのまま個体が集まったものです。対して組織とは「共通の目的を持っており」「互助関係を持ち」「互いにコミュニケートをする」ものと定義されています。これらの条件を満たしていないものは組織とは呼びません。駅で並んでいる人々は共通の目的を持ってはいますがその他の条件を満たしていないので集団です。野球やサッカーのチームは組織です。集団よりも組織のほうが強固であることが分かると思います。

 

 人間が作る組織ではこの「信用」の価値はさらに高くなっています。社会的分業が進んだ人間の社会においては個人での生存はままならず、顔も知らない誰かが責務を果たしてくれることを「信用」して初めて人間社会は回ります。「約束」を皆が守っているから私たちは安全で平穏な日々を送ることができているのです。

 だからこそ「約束」を破る行為は強い忌避感を持たれます。ルールを破る人間は組織には受け入れられないし、法律を破る行為には一定の人権剥奪をも許容されることになります。

 子どもと大人の違いは、子どもは社会が庇護すべき存在ですが、大人は社会組織の構成員だということにあります。つまり大人には子ども達を庇護できる社会を維持管理するという共通の目的を持つ責務があります。この目的を持てない大人には社会組織の構成員である資格が無いため、その社会で生活する権利が与えられません。つまり皆で決めた「約束」を守り、それを果たす「信用」があって初めて大人として社会組織に認められます。

 具体的な事例を少し出してみましょう。

 「信用」が無い人や企業には誰もサービスを頼みません。

 「信用」が無い人や企業からは誰も物を買おうとはしません。

 「信用」が無い企業にお金を貸す銀行はいません。

 「信用」が無い人は賃貸やインフラの契約ができません。

 「信用」が無い人はクレジットカードを作れません。

 最後の事例が一番分かりやすいでしょう、歳を取って大人になったからといってクレジットカードの審査が通るようになるわけではありません。無職だと審査は通らないですし、不安定な職業では審査は厳しくなります。貸した金を返すという「約束」を果たすことを「信用」できる場合に審査が通ります。

 

 納期は日常的に発生する顕在化した「約束」の代表例にあたります。また「約束」の中でも時間に関連するもののため、実は最も重要なものです。

 能力は人によって違いがあります。そのため頼んだ仕事の出来栄えにも差異があって当然です。品質について細かく「約束」をしていれば別ですが、多くはそこまで厳密には決めていません。よって出来栄えのばらつきには多少許容の余地があり、能力不足の相手に頼んだ依頼側にも責任の一端があります。

 しかし時間は1日24時間誰にでも平等です。能力的に無理であれば事前に納期を変更しなければいけませんし、その期日で請け負った以上は何があっても守らなければいけません。その期日までに仕上げるという「約束」である以上、それを果たせないのは依頼された側に全責任が発生します。アウトプットはQCDで語られることが多いですが、唯一Delivery(納期)だけは仕方がないという許容の余地が無い、絶対的な「約束」だということです。

 

 これは若手の社会人にはまだ理解するのが難しいと思いますが、ある程度仕事を覚えて人に仕事を依頼する側になると実感的に分かるようになります。

 例えば設計者が顧客からの注文で新しい製品を設計して、サプライヤーに見積依頼を出したとします。しかし納期通りに見積が返ってこなかったために顧客との約束を守れず失注したとしましょう。恐らくそのサプライヤーには二度と見積を出さないと思います。品質・価格についてであれば交渉の余地がありますが、納期を満たせない場合は交渉の余地などありません。

 そもそも社会的分業が進んだ現在の企業において、単独でこなし得る業務などまず存在しません。各部署が有機的に連動して協業するのが常です。それはつまり他部署を「信用」して仕事を任せ、他部署から「信用」されて仕事を受けることを意味します。「信用」が損なわれてこれが回らなくなっている企業はまず早晩倒産しますし、「信用」できない構成員はその組織には不要だと判定されてしまいます。

 だからこそ社会人はどのような仕事の納期でも必死になって守ろうとします。納期に間に合わないことによって失われるのは、社会組織の構成員として何よりも重要な「信用」であることを理解しているからです。金銭の損失や契約の損失はその付随的な事象に過ぎません。


 「約束」を果たすことは社会組織を構成する者の「責任」であり、「約束」を果たして「信用」を守ろうとする気持ちを「責任感」といいます。

 大人に必要なのはこの責任感であることを努々忘れてはいけないでしょう。