忘れん坊の外部記憶域

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仕事ができない若手社員に関するアンケート[マインド編]

 仕事ができない若手社員に関するアンケートの続きです。

 マインドに関する項目は以下です。

1:受け身、自主性、積極性が乏しい

2:やる気・モチベーションが低い

6:責任感が薄い、自己中心的、いい加減

 当たり前のことですが、育ってきた環境が違う以上若手のマインドセットはまちまちです。アクティブで自立心の強い人間もいれば、依存心が強く消極的な人間もいます。

 企業としてそれら若手に対する方法は3つあります。

①自社の風土に合う若手が入るまで採用を繰り返す

 一般的な企業が主に採用している方法です。採用担当者は自社風土に合わせた新人を採用しようとはしますが、アンマッチはどうしてもありますので早期離職や採用後の配置に苦労することになります。教育コストはそれほど掛かりませんが、採用コストが高くなります。

②自社の風土に合わせるマインド研修を行う

 自動車や服飾、飲食、ホテルなど製品・サービスのブランド力に依存する業界に多くみられます。トヨタウェイや京セラフィロソフィ、リッツカールトンのクレドなど、自社の求めるマインド・軸を従業員に教育して徹底させています。度が過ぎれば洗脳になり得ますが、集団として発揮できる能力は高まります。教育コストは高くなる傾向があります。

マインドセットに合わせた仕事ができるよう企業風土や業務形態を変える

 少人数のベンチャー企業や業務の柔軟性が高いIT企業などで行われています。 従業員を変えるのではなく、ティール組織やホラクラシー組織といった新しい組織形態によって従業員に求める役割の自由度を上げ、自主性を高めることで目的を達成します。現実に実行できている企業は少なく、維持継続のコストも高くなります。また新しい理論における常として時間による淘汰をまだ受けていないことから、実際に有用かどうかは証明されていません。

 

 いずれの方法を取るにしても、企業は従業員に対して求めていることを明確にし、それに対するリソースを提供する必要があります。労働契約(雇用契約)においては、労働者が提供する労働力をその契約の範囲内で使用者が最大限に利用することができます。よって労働者の能力を高めるための教育訓練は使用者が業務命令として指示することができますが、勤務時間内での教育訓練については使用者側が負担をする必要があります。

 つまり、若手のマインドセットが要求に合っていない場合は、使用者側がその改善に必要な教育訓練を使用者の費用負担で行うことが許容されています。これは義務ではありませんので、使用者は教育訓練を施さず、合わない従業員を解雇することも可能です。一般的な企業が教育訓練を施すのは、採用に莫大なコストを払っておりただ解雇してはコストが無駄になるからに他なりません。

 同時に従業員には就業規則の遵守義務があります。大抵の就業規則では会社の求める人材になるような要求がありますので、若手は学生だった立場を捨て、企業が求める社会人としてのマインドセットになるよう自らを変えなければいけません。

 

 まず若手は仕事というものを理解する必要があります。

 企業とは「営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体」です。よって、「営業活動で商品を顧客に売る」「製品の設計開発をする」といった行為は仕事の一部であり、「それによってどのような成果(利益)を得られるか」が仕事の本質です。

 極論、言われた業務はこなしている、知識はある、勉強もしている、だけでは仕事をしているとは評価されません。それは仕事をしているのではなく、ただ作業をしているだけです。社会人は成果を出して初めて評価されることを理解しなければいけません。残念ながら努力が評価されるのは学生までです。うへぇ、自分で言っていて辛い気持ちになりますね…

 

 学生と社会人には他にも評価基準と責任に明確な差異があります。

 学生の本業は勉学であり、それに対する評価はテストの成績です。結果に対する努力は自らで行うものであり、責任は自己のみの範囲となります。成績を上げるには自分で努力するしかありませんし、成績が悪くても人には迷惑が掛かりません。

 対して社会人の本業は仕事であり、どのような成果を出せるかが評価基準です。学校の勉強とは異なり成果の出し方に正解や答えがあるものではないため、評価基準は自然と周囲の相対的な評価に依拠することになります。

 ルールを順守していればどのように成果を出したかは重要にはなりません。個人で頑張るのも良いですが、より大きな成果を出すために周囲を巻き込むことはさらに優れています。そのためには自助努力は当然として、周囲と協業しなければいけません。そしてその分、責任範囲は自己のみではなく組織責任となります。

 つまるところ学生と社会人の最も大きな違いとは、他者と協力し必要な成果を出す社会性の有無に帰結します。

 

 そもそも学校からすれば、学生とは勉学にお金を払っている「お客様」です。よって学校には「もらった学費に応じて勉強を教える義務」があります。

 一方で社会人は労働契約(雇用契約)により「成果を出すことによって対価を得る」立場です。前述したように企業には従業員を育てる義務はありませんし、能力不足は適切な解雇理由になり得ます。営利活動において従業員に業務知識を身に付けてもらったほうが良いから教育するというだけです。

 「分からないことは教えてくれる」「教わってないからやれない」という考えは学生ならば許されますが、社会人としては誤った考えです。若手からすれば理不尽だとは思いますが、企業の定義や労働契約の原理原則に則るのであればその理不尽こそが筋の通った正道なのです。もの凄くトップレベルの例となりますが、Appleが「iPhoneの作り方なんて誰からも教わってないから分からない!」なんて言ったりはしなかったでしょう?彼らは手探りで市場を読み、技術を組み合わせてiPhoneを設計したわけであり、誰かに成果を出すやり方を教わったわけではありません。

 

 さらに言えば、「自分らしさ」というものは学生までに許されるモラトリアムであることを理解しなければいけません。もちろんある範囲での「自分らしさ」は必要ですし許容されますが、他者との協業において阻害要因となり得る「自分らしさ」は改善することが求められます。(時間にルーズであったり、約束を破ったりするようなことです。)

 これは企業がどうこうというレベルでは無く、社会というものが相互扶助によって成り立っている以上必須事項です。これを拒否するには、無人島で一人で生きていくしかありません。

 福沢翁が『学問のすすめ』で述べたように、

「人の天然生まれつきは、つながれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なるものなれども、ただ自由自在とのみ唱えて分限を知らざれば、我儘放蕩に陥ること多し。すなわち分限とは、天の道理に基づき人の情けに従い、他人の妨げをなさずして我が一身の自由を達することなり。」

ということです。

 

 これらが多くの企業で新入社員に「コミュニケーション能力」を求める理由です。企業は「他者と協業できる大人」であることを若手に求めています。