忘れん坊の外部記憶域

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民主主義と多数決~多数派は楽なのか?

 多数決は民主主義の本質ではありませんが、大きな集団における意思決定は物理的・時間的制約により多数決に頼らざるを得ないという現実があります。

 多数決を行うと必ず多数派と少数派に分かれます。満場一致になるまで熟議を続けてもいいかもしれませんが、満場一致のパラドクスや全会一致の幻想を考えるとそれは最適解ではないでしょう。

 よって民主主義の課題として常に残るのが「少数派の権利」です。

 

 今世界中で少数派の権利に関する議論が頻出しています。日本でもLGBT法案に関する報道が続いていますし、アメリカではBLM運動が活発です。欧州ではもう何年も移民についての議論が続けられています。

 もちろん私は少数派が差別されるような状況には反対ですし、民主主義の精神に則り少数派の権利の擁護は果たされるべきだと考えます。少数派である故の不利益は是正されたほうが良いですし、多様性のある社会を目指すために意見は皆バラバラであってもよいでしょう。「みんなちがって、みんないい」の精神が一番平穏です。

 

 ただ、「少数派だから辛い」のみで押し通そうとする意見だけはあまり好みではありません。具体的な不利益、例えば宗教が理由で就職に支障を来しているとか民族を理由に弾圧を受けているといったことは明確に良くない状態ですので、どう是正するかの議論が可能です。しかし「少数派だから辛い、待遇を改善しろ」とだけ主張されてしまうと対策や方法に着地点の無い議論となるので困ってしまいます。

 正直言ってこの理屈は無敵です。「辛い、少数派だからだ。」という問題を解決するにはその集団の辛さ全てを取り除かなければいけませんが、王様や貴族のように多くのものを与えて祭り上げたって人生の辛さを消し切ることはできません。少数であることが問題だとして人数を増やして解決しようとしても、次は元多数派が現少数派に変わるだけです。「少数派だから辛い」は具体的な解決方法の無い問題であり、反論しようがない無敵の論法です。少数派であることが利権の温床とならないよう、問題提起は「これこれこういう不利益があります」「それは良くないのでこうしましょう」という建設的な議論ができるような形であるべきです。

 

 時々思うのですが、「少数派は辛い」のであれば「多数派は辛くない」のでしょうか。私自身は人様と足並みを揃えるのがあまり得意なほうではないので自由気ままですが、「周りに合わせないと」と凄く頑張っている人もいます。そういう人を見ていると多数派の位置に立つのも大変そうだなぁ、と素朴に思う次第です。常に自分の位置を確認し、発言に気を遣い、周りの視線を気にしています。同調圧力は多数派集団の外に押し付けるようにも働きますが、”圧力”というくらいですので集団の中に居る人にも等しくかかります。むしろ中に居るほうが全方位から押し付けられることでしょう。ですので多数派だから楽ということは無いんじゃないかと思うわけです。それもあって、「少数派は辛い」自体にはそれほど賛同できません。

 

  まあ、民主主義が現状多数決に頼らざるを得ない以上、多数派と少数派に分かれるのは必然です。多数決の原理上少数派は確実に不公平を受けることになるのですから、「少数派だから辛い」「多数派は楽だ」なんて不毛なレッテル貼りは止めて、即物的ではありますが具体的な是正にリソースを注いだほうが建設的でしょう。