忘れん坊の外部記憶域

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フェイクニュースに対するファクトチェックの課題

 フェイクニュースとは読んで字のごとく嘘情報のことです。事実誤認の場合もあれば誰かが悪意で流すこともあります。

フェイクニュースの実情

 フェイクニュースの多くはたくさんのPVを受けられるように刺激的な見出しを用いて誘導しています。そのため拡散性が高く、正しいニュースよりも早く広がるという研究結果もあります。悪い噂ほど早く広まると昔から言われているように、センセーショナルなニュースは人口に膾炙しやすいものだということでしょう。

 フェイクニュース自体はそれこそ遥か昔から存在するものです。しかし「人の噂も七十五日」というように、昔のフェイクニュースは他の正しいニュースと同様に消えていくものでした。

 ところが現在の情報社会においてはネットワーク上で流れたニュースがなかなか消えず、いつまでもネットの海に残り続けるようになっています。事実誤認についての反対ニュースも当然ネット上に投稿されますが、そのようなニュースは”面白くない”ため伝搬速度が遅く、どうしてもフェイクニュースのほうが目立ってしまいます。

 事実と異なる情報は当然ながら社会や政治、経済や個人の生活にも悪影響を与えます。よって、フェイクニュースは「悪」と判定されていることに異論はあまり出ないでしょう。

 SNSの発展もフェイクニュースが増加した要因として大きなものがあります。かつてはメディアが独占していた情報発信を個々人ができるようになったことで、その分だけフェイクニュースも爆発的な増加をしています。

 ファクトチェックとは

 フェイクニュースに対してその正誤を判定する行為をファクトチェックといいます。個人で行っているものも多いですが、昨今では新しい付加価値商品としてマスメディアがファクトチェック記事を投稿することが多くなりました。センセーショナルなフェイクニュースはそれだけ多くのPVを集めているため、それに関連したニュースにも多くの読者を集めることができるからです。また世の中にはファクトチェックの専門機関もあります。

 フェイクニュースに踊らされないためにはファクトチェックが必須なことに疑いはありませんが、ファクトチェックにもいくつかの課題があります。

ファクトチェックの課題

 まずどのニュースに対してファクトチェックをするかといったバイアスの問題です。ニュース記事はそれこそ無数にあるため全てのファクトチェックをすることはできません。よってファクトチェックは個人やジャーナリスト、チェック機関が選んだ記事によって行われますが、この選択の段階でどうしてもバイアスが発生します。それぞれの信念や思想、イデオロギーと合致するニュースは甘く、反対であれば厳しく、となるわけです。

 これはそもそもニュース・ジャーナリズム自体の課題でもあります。ジャーナリストは入手した情報をどう発信するかだけでなく、どの情報を発信しないかも決めることができます。客観報道や中立といった綺麗事はありますが、厳密な意味での客観報道というのは存在しませんし、そもそもジャーナリストは商売になる情報しか報道しません。「今日の何時何分に東京駅のホームに新幹線が無事に到着しました」というのはニュースバリューが無いですが、「今日の何時何分に○○社の飛行機が墜落しました」は読者が求める価値があるので報道されるわけです。

 

 次に、具体的な証拠を伴わないファクトチェックが多くあり、片方の意見を主張するために用いられてしまう危険があることです。

 簡単な事例として、「A社ではデータ改竄をしている」というニュースがあったとして、A社の社長が「データの改竄はしていない」とコメントしたとしましょう。ここで、ファクトチェックとしてどちらを採用するかが課題となります。本来は物証が無い限りはどちらが事実か分からないはずですが、往々にして「A社社長が否定したため、データ改竄は無い」というファクトチェックが行われてしまうことがあります。

 ファクトチェックは実のところとても難しく、「言った言っていない」程度であればすぐに判定が可能ですが、「やったやっていない」については厳密な調査が必要です。しかし無数のニュースに対して事実確認を行うのは現実的では無いことから、どうしてもレベルの低いファクトチェックが発生してしまいます。さらに言えばファクトチェッカーが利害関係にある場合は片方の意見を意図的に採用する危険すらあります。

 

 これらの課題を解決するのはジャーナリズムの構造上不可能と言えます。よって読者の私たちとしてはどのようなニュースやファクトチェックにおいても鵜呑みにはせず、記事に対して利害関係のある双方の意見を確認する必要があります。単一のニュースソースではどうしても片方の意見ばかりに偏ってしまいますので、両論を見て、正誤の判定をしなければいけません。