忘れん坊の外部記憶域

主に時事やビジネス、政治経済や興味を持ったことについて書き散らしています。

体力よりも気力のほうが限界に達する時代

 一日中仕事をしていると体力的にも気力的にも消耗します。体力的なものは実感が湧きやすいですし、酷ければ見た目にも表れますので分かりやすいです。しかし気力の消耗は相当酷くならなければ見た目には現れません。自覚もしにくいため分かり難いです。体力は動けなくなれば限界だと分かりますが、気力はなかなか限界を掴みにくいことも原因です。しかし、気力にも明確に限界があります。

決断が一番大変 

 気力を最も消費するのは意思決定、つまり物事を決断することです。時間的制約の中で手に入る限りの不完全な情報から組織や自らの未来に関わる判断を「決断」することは大変に気力を消費します。

 福沢翁の「学問のすすめ」初編においても以下のように書かれています。

また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

 心、つまり気力を用いる仕事はむずかしい仕事で、手足、つまり体力を用いる仕事は簡単な仕事だと述べています。

 だからこそ直接働いている実働部隊よりも意思決定を行う経営者や管理職のほうが高額な報酬を受け取っています。

 

 若い頃は実際に手足を動かして汗水流して働いている自分たちよりも事務所で座って何をしているのか分からないお偉いさんのほうが高給取りなことが納得ができませんでした。私は技術屋ですが、涼しい事務所で図面を書いているおっさんよりも毎日遅くまで評価試験をしている私の方が大変だと考えていたわけです。

 今にして思うと青かったなと思います。気付けば私も図面を書く側になりましたが、深く考えずひたすら試験をしていればよかったあの頃に戻りたいです。体力的には大変でしたが特に気力は消費していなかった当時に比べて、現在はとにかく意思決定に使う気力が段違いです。本当にこの形状でいいのか、もっと安くもっと良い構造は無いか、計算上はなんとかなるはずだが実際の環境ではどうなるか、ああでももう納期を考えると決断するしかない、という心が擦り減る状況は体力的なしんどさよりもよっぽど堪えます。

昔のような残業はムリ! 

 私よりも上の世代は「今時の若者は軟弱だ」「昔はもっと残業していた」とこぼしますが、正直なところ無理です。

 簡単な図面でもドラフターを使って手書きで何時間も掛けて製図していた時代であれば決断をする前に充分考える時間がありました。試作して評価する時間だって取れました。長さ1つ取ってもじっくりと考えられてから決められたわけです。

 現在は簡単な図面であれば一時間も掛からずにCADで製作することができてしまいます。長さ1つ決めるのに何分も使っていられません。また通信の発達により世界中から依頼が次々と届くため、試作評価している時間なんてほとんど無く、この図面で本当に良いのかを決めるデータも時間も圧倒的に不足している状態で決断しなければいけないのです。

 幸い私は覚えが悪かったので良い先輩に恵まれてじっくりと教わることができたので経験と知識から決断することができますが、私よりも若い世代はOJT促成栽培された子が多いため経験も知識も乏しく、決断するのは本当に大変だと思います。日本の製造業の品質レベルが低下しているという意見もありますが、このような「決断速度の短縮化」と「人員不足による若手の即戦力化」が一因ではないでしょうか。

 

 ビジネスが効率化した結果、意思決定の決断量が圧倒的に増えており、人間の耐えられる気力消費の限界に挑戦するような速度になっています。過労死・過労自殺が増えているのも宜なるかなということです。もっとゆったりとしたいものですが、どうすればいいものやら・・・