忘れん坊の外部記憶域

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批判と目標設定~あるべき姿の弊害

批判と「あるべき姿」

 物事の批判において、多くは何らかの目標値やあるべき姿と比較される形で批判が行われます。「○○であるべきなのに××になっている、だから問題だ」という形です。

 批判的な見解というのは概ねこの構造を持っています。どこかの企業や官庁が事故を起こした場合であれば「無事故であるべきなのに事故が起きた」、政治家が不祥事を起こした場合であれば「潔癖であるべきなのに不祥事を起こした」、というように、明確に示されなくても言外にあるべき姿から離れていると考えられるからこそ批判されるわけです。

 しかし、過去の記事でも書きましたが、その「あるべき姿」は正しいのでしょうか?

 実際のところ、万人が納得するようなあるべき姿というのは存在し得ません。だからこそ適切な批判というのは難しくありますし、誤った目標設定やあるべき姿論が害悪になっていると感じます。

不適切なあるべき姿の弊害 

 この問題は特にマスメディアによる物事の批判でよくみられます。

 最近であれば日本のワクチン接種が遅いという批判です。確かに日本は諸外国に比べてワクチンの接種拡大に時間が掛かりました。それを批判するメディアの中では「諸外国と同じ程度に早く接種すべき」というあるべき姿があります。そうでなければ早い遅いの比較はあり得ないわけですから、言外にあるべき姿を定めてそれとの比較によって批判しているわけです。

 正しく批判をするのであれば批判をする前にそのあるべき姿はどの程度現実的で実際的なのかを考えなければいけません。日本は諸外国に比べて元々ワクチンに対する忌避の強い国です。医療の現場は長期化するコロナ禍で疲弊しきっています。お医者さんは高度な専門職であり、いくらお金を積んだって1年でポンと増やすことができるわけでもありませんし、処理する自治体も同様にヒト・モノ・カネが有り余っているわけではありません。時間を掛けて海外での治験データだけでなく少数でも国内治験データを収集していたことは安全性の観点から無駄ではないでしょう。医療現場の尽力と個人個人の努力によって日本では昨年の超過死亡が減少するほどにコロナ禍の被害を抑えることができていますが、そのような国が被害が大きい他国を差し置いてワクチンを買い占めたら他国はどう思うでしょう。

 つまり言いたいことは、他国と同じ程度に早急にワクチン接種ができたのか、本当にそれがあるべき姿なのか、ということです。非現実的なあるべき姿を仮定して、それに基づいて批判を行うというのはフェアではないでしょう。どれだけ理想的なあるべき姿を描いて批判したとしても、できないものはできないのです。

批判の注意点

 逆説的ですが、現実的なあるべき姿を描けている場合の批判は適切な批判となります。それこそ浮気した有名人などへの批判は「浮気をすべきでない」という何とも妥当なあるべき姿が描ける故に適切な批判の範疇に入るでしょう。しかしやはりあるべき姿が現実的かどうかを判別するのは難しいので、安易な批判は避けたほうが賢明です。 

 また、高い目標、高いあるべき姿を描く人は高いあるべき姿を基準とするため他者に対して批判的になりやすい危険があります。自らが高い目標を立てることは勝手ですが、他者にそれを押し付けるような批判をすることは戒めるべきです。私もなるべく自らを戒め慎みたいと思います。

 

切り口の一つとしての若年層政権支持率の理屈付け

 蛇足ではありますがこの理屈、批判とあるべき姿の関連性は若者の政治的価値観にも転用できると考えます。

 年長の方々は高度経済成長期を経験しており、高い目標を立てることに慣れています。「もっと与党はこうあるべきだ」という理想を持つことができているために与党に批判的な方が多く、与党の支持率は低いものとなっていると考えられます。

 対して若年層は生まれた時から「失われた○年」であり、経済成長による生活の変化を経験したことがありません。理想とすべき過去が無いため、「もっと与党はこうあるべきだ」というあるべき姿も持っていません。そのため与党にも批判的ではなく、与党支持率は高くなっているのではないでしょうか。

 与党支持率が高ければいい、低ければいいというわけではありませんし、もちろん理由はもっと多岐に渡るでしょうが、切り口の一つとして考えられるかもしれないと思う次第です。