忘れん坊の外部記憶域

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恐怖と不安~テロリズムとマスメディアの共通点

 テロリズムとマスメディアの目的は当然まったく異なりますが、1つだけ共通点があります。「恐怖と不安」を商売の道具にしていることです。

テロリズムとは

 日本におけるテロリズムの定義は以下となっています。

広く恐怖又は不安を抱かせることによりその目的を達成することを意図して行われる政治上その他の主義主張に基づく暴力主義的破壊活動をいう。

  テロリズムの定義については厳密な意味で国際的に普遍的な合意はありません。政治的なものやその他の主義を主張すること自体は平和的なデモでも行われていますし、暴力を基準とするならば飲み屋街での乱痴気騒ぎも含まれてしまいます。圧政を打ち倒すための革命軍も本人達にとっては正義ですが、独裁者にとってはテロリストになるでしょう。よって無数のプレイヤーが存在する国際社会において唯一合意があるとすればそれは「恐怖」を伴うというところのみです。

 テロリズムと恐怖は不可分です。元々の語源はラテン語の「恐怖」から来ているように、テロリズムとは恐怖の影響力によって人の行動に変容を与えることを手段としています。

マスメディアにおける恐怖と不安

 マスメディアは恐怖や不安を煽ります。良い悪いというよりも、それが彼らのビジネスモデルだからです。情報を売るのが彼らの仕事ですが、如何に多くの人に情報を売るかを考えれば不安や恐怖によって扇動することは必然であり、仕方のないことです。

 生物は脳で思考して判断することよりも生存に関係する思考が先行する本能・遺伝子を持っています。どれだけ美味しい獲物が目の前に居ても死んでしまってはそれを食べられないためです。行動経済学で言えば「損失回避の法則」が働きます。

 つまり情報を売るという市場競争において、読者が思考する前に脳に伝達できる死への「恐怖や不安」という情報こそが内容を問わず最も読者の興味を惹き、衝撃を与えて情報を求めさせることができるのです。

私たちにできること

 どちらも恐怖を巧みに用いているとはいえテロリズムとマスメディアが同様であると言いたいわけではありません。いや、一部マスコミの一部記者はまあ、ゴニョゴニョ・・・ただ、マスメディアやニュースサイトがどのような意図と手段を持って情報発信をしているかを知っておくことには意味があります。恐怖と不安によって半強制的に脳へ送り込まれた情報は必ずしも事実であるとは限らないためです。

 私たちにできることは情報リテラシーを高めることのみです。情報リテラシーが高いとは、効率的に情報を探し出し、精査し、使うことが上手いということです。情報リテラシーを高めるにはまずは大量の情報を入手できることが前提条件となります。 わずかな情報や片寄った情報しか無ければ精査しようがありませんので。

 だからこそマスメディアには両論併記をしていただきたいものです。マスメディアが精査した”正しい情報”のみが報道されるような状況では人々の情報リテラシーを高めることはできません。若干逆説的ではありますが、"正しい情報"を識別するには"誤った情報"が必要なのです。

余談

 マイケル・ムーアの映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」においてミュージシャンのマリリン・マンソンが語ったことこそメディアの本質を示しているのかもしれません。

人は毎日テレビを見て、ニュースを見て、恐怖を目一杯詰め込まれる。洪水だ、エイズだ、殺人だ、パッとCMに切り替わって、車を買え、歯磨きを買え、臭い息してちゃ人に嫌われる、ニキビ面してちゃ女はやらせてくれない。言ってみれば恐怖と消費の一大キャンペーンだ。それをベースに全てが動いているんだと思うね。恐怖を与え続けて、物を買わせる。とどのつまりはそういう単純なことさ。