忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

粉粒体のようでありたい

 何を言っているんだという記事タイトルです。

 私は粉粒体のようにありたいとただただ強く望んでいます。誰に理解されなくてもそうありたいと思う気持ちを大切にしていきたいのです。

 真面目な話をしそうな書き出しですが、本文はそうでもありません。

粉粒体とは

 粉粒体とは粉や粒が集まったものです。砂や小麦粉が身近な代表例ですが、工業的にも一般的なものです。特に食品工場などでは原材料として粉粒体を多く取り扱っています。

 粉粒体は小麦粉でイメージすると分かりやすいのですが、空中に投げれば気体のように空間を漂い、容器を傾ければ流体のように流れ落ち、袋に詰め込めば固体のように硬くなります。つまり粉粒体は固体・液体・気体全ての特性を持ち合わせています。そのような振舞いを見せることから取り扱いが大変に難しく、粉粒体を取り扱う専門の工学分野があるくらいです。

固体ではありたくない

 頑固で曲がらず、己が信念を貫き通す人の生き様はまさに固体と言えます。その姿はなんとも勇ましく、見る人の尊敬を集めることでしょう。人界を縦横無尽に踏破するにはこのような人間性が望まれます。しかしそれは裏返せば頑迷固陋であり、人の信念を破砕するような傲慢さに繋がりかねません。和を持って貴しとなすことを旨とする私としては、他者との融和を拒んでしまう危険性を孕んでいることからあまり志向する目標ではありません。

液体ではありたくない

 状況に応じて臨機応変・変幻自在にその姿形を変えて適応できる人の生き様は液体と言えます。固体と比べればその変化は軟弱に見えるかもしれませんが、雨垂れ石を穿つこともあり決して薄志弱行な存在ではありません。しかし朱に交われば赤くなるように、液体の性質は他と混合することを容易とします。多様性を良しとする私としてはあまり素懐するものとは言えません。

気体ではありたくない

 一道、一処に縛られず、自由奔放、縦横無礙、己の気の向くままに生きる人の様は気体のようです。吹けば飛ぶような軽佻浮薄であると嘲るものもいるでしょうが、その傲慢不羈な処世は諸人の真似できぬ所であり、憧憬の念を抱かざるを得ません。しかし言い換えれば優柔不断で意志薄弱、懶惰な人生となりかねません。一所懸命であることを求める私としてはあまり庶幾するものではありません。

粉粒体でありたい

 時に固体のように頑強で、時に液体のように自在で、時に気体のように軽妙で、必要に応じて自らの性質を変化させて環境に適応する。不要な時は固体のように小さく凝縮し身を潜め、必要な時は気体のように膨張して状況を管制する。時には液体のように他と混合し、しかし振動によって容易に分離することもできる。身体に困っている人がいれば固体のように支え、心に戸惑っている人がいれば液体のように共感し、道に迷っている人がいれば気体のように同行する。

 そういうものにわたしはなりたい。

余談

 普段使わない漢字を使って文章を書きたいと思ったのです。ただそれだけのしょうもない記事です。たまにはこういう変な記事も許されるのではないかと思います。変な記事はたまにはではないですしそもそも誰に許されるんだという話ですが。

 言いたいことは臨機応変でありたいというだけの話であり、粉粒体である必要はありませんでした。「書こうと思っていることメモ帳」にポツンと「粉粒体」って書いてあったのですが、メモをした時に何を書こうと思っていたのかは忘れましたのでこんな記事になりました。書き始めて3分で後悔しましたがコンコルド効果やサンクコストバイアス的なあれでここまで書き進めてしまいました。人間、やればなんでもできるものですね。そしてやればいいってわけでもないですね。反省。