忘れん坊の外部記憶域

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普通の人には分からない~多数派と少数派の折衷

 私は頭が悪くて性格が悪いくらいで、一応は健康な成人です。一般的・・・とまで主語を大きくしていいかは分からないですが、とりあえずは多数派といえる「健康で社会人として仕事をしている成人男性」の分類には入れてもらえると思います。誤解を恐れず臆面も無く言えば普通の人と言ってもいいでしょう。普通とはなんぞや、という話は深淵を覗き込むような奥深く道程の長い話になるので置いておきます。今回の普通の定義はガウス分布における±1σの範囲、つまり3人に2人は当てはまるというくらいの「普通さ」とします。

普通の人には分からない

 先の定義に従えば普通の人は3人に2人、つまり多数派を形成しています。というよりも多数派のことを普通の人と呼んでいると言った方が正しいでしょう。反対に少数派の人は普通ではない人と呼ばれます。どうにも普通ではない人というのは表現が難しいのですが、今回のテーマで話しているのは変な人とかのネガティブな意味合いではなく、多数派ではない人というだけの意味です。変な人というのは階段の踊り場で踊るような私のことを言います。

 実のところ普通の人には少数派である普通ではない人の感覚を理解し切ることはできません。人が3人集まった時に、自分が普通の人である人はもう1人同じように普通の人がいます。対して普通ではない人は残り二人が普通の人になるため、自身と同じ属性の人が身近にいません。常日頃から普通の人が身近にいる普通の人にはその「自分と同じ人が近くにいない」という感覚が分からないのです。

 もちろん様々なグルーピングやカテゴリで世の中を切り取ることが出来る以上、ある人が全ての事象において多数派になることはありません。それぞれの人が何かしらの普通でないものを持っているでしょう。それでも例えば結婚や仕事、金銭や社会的成功、性的指向や精神障害など、世間一般的な価値基準という概念において普通でないことは生きやすさに大きな影響を与えるものです。普通の人はその生き辛さを実感的に感じていないため、理解の埒外にあります。

 悪い事例を挙げさせてもらえば、「うつ病なんて甘えだよ」という”普通の人”は悪気があるからではなく、ただただ理解の枠に無いからこその発言です。だからこそ扱いに困るのですが。近頃は理解が進みこのようなことを言う人も減ってきてはいますが、それは精神障害を実感的に理解したのではなく、精神障害にはそう言ってはいけないことを理解したからです。カントを持ち出すまでもなく、実感的な理解というのは他人には正確に伝達し切ることができません。精神障害にあるを理解したからではないことに、普通の人には分からないということの難しさがあります。

多数派を動かすことの意味

 以前「多数派だから楽というわけではない」という記事を書いたことがあります。その意見は今でも変わらず、少数派だから辛くて多数派は気楽なものだというのは誤解だと思っていますが、普通の人である多数派に分からない少数派の辛さというものは間違いなくあります。

 その解消にはどうすればいいか。理解を迫ることは前述したように不毛なことになります。残念ながら普通の人には少数派のことを実感的に理解することはできません。

 できることは理解させることではなく、受容させることまでです。多数派だから楽ということはありませんが、多数派は多数派であるがゆえのリソース、余裕、余剰があります。そのリソースを少数派に割り当てるように要求することが最も合理的で、効果的で、確実な方法です。

 人は人に理解されることを喜びの一つとしているため、少数派が理解を求めることは当然の欲求です。しかし悲しいことですが、”普通の人には分からない”のです。世の中では理解を求め合って争いが起きることがあり、それがとても残念です。私としてはその手の争いを避けることこそを命題としているため、この課題については多数派の余剰リソースを供与することだけが現実的な折衷案になると考えます。

余談

 今回の記事は普通という言葉を取り扱ったため、正しく表現できたか自信がありません。普通でない、という表現や考えは容易に多数派からの差別や少数派の利権に繋がってしまいます。不快な思いをさせてしまっていたら申し訳ありません。

多数派についての過去記事