忘れん坊の外部記憶域

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お金を適切に管理できるかが、頭の良さの指標として分かりやすい

 頭の良さという指標はつい気になってしまうものです。別に頭が良ければ偉いというわけではないのですが、頭は良い方が良いという考えを持つ人のほうが恐らく多数派となるでしょう。

頭の良さとは?

 脳の役割はかなり多岐に渡るため、一口に頭の良さと言っても現れ方は様々です。頭の良さの分類や測定、比較方法などには様々な情報が溢れかえっており、一体何を指標とすればいいのか分かりにくくなっています。

 知能に関する著名な分類に、イギリスの心理学者レイモンド・キャッテルによる「流動性知能」と「結晶性知能」というものがあります。ベースとしてはこれを抑えておけば良いかと思います。流動性知能は推論力や記憶力、計算力のような問題解決能力・学力を意味しており、25歳頃をピークに低下していくものです。結晶性知能は専門知識や習慣、趣味によって培ったスキルのように経験が土台となる専門性が高いものを意味します。これは加齢によって劣化しにくく、むしろ蓄積されていくものです。

 頭が良いというのはこれらの知能のどちらか、もしくは双方に優れる場合に適用される言葉と言えそうです。

個人的な頭の良さに関する考え方

 蛇足ですが個人的な見解として、頭の良さは入力・出力・速度の3つで考えています。

 入力は学習能力や理解力に該当します。1を聞いて10を知るような人は頭が良いと言えるでしょうし、入力量が多い人や吸収力が高い人は頭が良いと思います。

 出力は学んだことをどう外に出すかだけでなく、実際に行動できるかどうかの行動力も含んでいると考えます。頭の中だけで考えて実際に動かない人はあまりお利口とは言えないでしょう。

 速度はそれら入出力の速度です、単純に早ければ早いほど頭の回転が優れていて頭が良いと考えます。

というここまでの話を投げ捨てて

 頭の良さには様々な捉え方や指標がありますが、ここまでの話をまるっと投げ捨てて、「お金を適切に管理できるか」が一押しの指標です。どれだけ頭の回転が速く、たくさん勉強していて、様々な物事に精通しており、活発で活動的な人間であろうとも、お金の管理ができない人は頭が悪いと思っています。

 世の中お金が全てではありませんが、お金は人類社会共通の物差しの一つです。プライスレスな物事はさておき物事や行動はお金という基準をもって皆がその価値を定めているわけであり、そのお金を管理できるということは物事や行動の価値基準を適切に判断できているということです。

 頭が良い人は必要な分のお金を考えて適切に得ることができます。頭の悪い人は必要な分の収入を得られなかったり、分不相応な収入を得ることに躍起になって周囲に迷惑を掛けたり、背丈に合わない収入を得た結果それを浪費して世間に混乱を来たすようなことをしてしまいます。重要なのは必要な分のお金ということです。頭が良い人が大きな物事を成し遂げるために必要な分のお金を集めるのは問題ありません。

 また頭の良い人は得たお金を適切に投資することができます。不要で無駄なものは買わずに節約し、必要な投資は惜しまず、自らや家族、集団を安定的にマネジメントすることができます。頭の悪い人は余計なことにお金を使うために不安定な生活基盤となり、適切な投資を行えなくなってしまいます。特に私のような馬鹿はお金を持ってもロクなことに使わず無駄遣いばかりするため、世の中に悪影響を与えています。福澤諭吉先生が言うように、自身で稼いだ金と言えども世の風紀を紊乱するような金銭の使い方は自由をはき違えており、それは我儘放蕩だということです。・・・反省します。

 知識がある人を頭が良いと勘違いすることがあります。確かにお金を管理するためには知識があったほうがいいことは間違いありませんが、必ずしも必要なわけではありません。「知識」と「知性」は別ということです。知識は価値基準の材料であり、尊ぶべきほどのものではありません。正しく価値基準を見定めて判断することができること、つまり知識ではなく知性があり知能に優れていることこそが頭の良い条件と考えます。

余談

 お金をちゃんと管理できない私のような馬鹿な人間が、なぜこんな自虐的な記事を書いているのでしょうね。不思議です。あ、馬鹿だからかもしれません。