物事への姿勢の違い
世の中には人それぞれ異なる価値観があります。物事への取り組みに対する姿勢もその一つです。
姿勢の例を部活動で挙げてみましょう。部活動において全国大会を目指して積極的に練習をしたいという人もいれば、皆で楽しく運動をすることが目的であまり厳しい練習はしたくないという人もいます。今時の表現をすればガチ勢とエンジョイ勢です。
他にもブログの運営であれば、収益を目的としてひたすら集客が見込める記事を作成し、他所のブログやSNSで宣伝するような人はガチ勢、好きなことを記事に書いて個人的に楽しんだり、同好の士とコミュニケーションを取ることを楽しんでいる人はエンジョイ勢となります。
これらの他にも様々な事例が思い付くことでしょう。
この姿勢の違いは時に軋轢を生みます。ガチ勢の人は「本気でやれよ、勝たないと楽しくないだろ!」と考え、エンジョイ勢は「楽しくやりたいのに強制するなよ!」と反発するような形で現れることが多いでしょう。
ガチ勢とエンジョイ勢には本来優劣の差異はありません。いずれにおいても承認欲求の現れ方や満たし方が異なるだけであり、つまり目的が異なるだけです。よって争うだけ無駄なのですが、どうしても軋轢というのは生まれがちです。
優劣は無いのですが、ガチ勢サイドは目的を達成するために協同する仲間や切磋琢磨するライバルが必須な場合が多くなります。そのため周囲を巻き込む必要性があることから軋轢の発生源となりやすい傾向はあります。とはいえそれは悪意の発露ではないことに注意が必要です。
分離と統一
この軋轢を解消する方法は2つしかありません。
一つは分離です。大仰に語るまでもなく単純な話ですが、同じグループに置いておくから軋轢が発生するのであり衝突しないように違うグループに分離してしまえば良いのです。同じ目的の人が集まっていたほうが互いにやりやすいですし、いちいち関係性の調整を行う必要もありません。
価値観とは個人の人格に強く結びついたものであり、相手の価値観を改宗しようとすれば当然ながら軋轢が発生します。それは価値観の否定、ひいては人格の否定と受け取られるからです。
学校で生徒間のグループができるのも子どもはこのことを経験的に理解しているからです。気の合わない人とは無理に付き合わず、気の合う仲良し同士でつるむほうが衝突リスクを避けることができます。
しかしながら企業や組織のように個々人の価値観や目的よりも企業や組織の目的を優先しなければいけない集団も存在します。またオンラインサービスや部活動のように分離することが難しかったりそれだけのリソースが無い場合もあります。その場合は分離ではなく統一が必要です。代表的な例としては世界的なホテルブランドであるリッツ・カールトンや日本の楽天などで用いられているクレドです。クレド(creed)は信念やモットーを意味する言葉で、集団の目指すべき方向と目的を明確にし、所属者にそれを満足するような行動をすることを求めて教育するものです。
それぞれの価値観はさておきこの集団はこういう目的を持っているからそれに沿って行動してね、ということです。
とはいえ統一は個人の価値観を軽視することから悪い言い方をすれば洗脳と同義です。乱用は戒めるべきであり、時と場合に応じて必要ならば用いるようにしなければいけません。ブラック企業などはまさにこれを悪用・乱用していると言えます。個人の価値観や人格を制限することが当然になってしまうと世の中窮屈になってしまうでしょう。
分かり合えなくても良い
正直なところガチ勢とエンジョイ勢は住み分けさえできていれば分かり合う必要はありません。意見や見解であれば相互に擦り合わせて妥協点を探すこともできますが、価値観や人格はそういったことができないのです。ガチ勢とエンジョイ勢の軋轢は相手の人格を攻撃するのと極論同義であり、良い結果に着地することはまずありえません。互いに分離していたほうが幸せです。
統一が必要な場合には実施するしかありませんが、つまりは二つ以上あった価値観を一つにまとめ上げる結果となります。それは世の中の多様性維持としては後退です。統合した集団は短期的には強い力を出せるかもしれませんが、多様性を失った組織や社会では環境の変動に対応することができなくなってしまいます。無理に多様性を損ねるよりも、それぞれ動きやすい環境で自由にやることこそが長期的な目で見れば良いと思うのですが、いかがでしょうか。
余談
とはいえ前述したようにガチ勢は構造的に周囲を巻き込む場合が多いため、エンジョイ勢は状況に応じて避難したり防御をしなければいけません。しかしガチ勢が悪いというわけでもなくただ目的が違うというだけだということがこの衝突問題をややこしくしてしまっています。世の中から争いが無くなる日はなかなか遠そうです。
互いに存在を認め合い、そして大人の対応としてそっと離れることができればいいのですが。下手をすれば子どものほうがそのあたりは上手くできているかもしれません。