忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

父の運転する車

 ただの思い出話。

子どもの頃の思い出

 子どもの頃、私は車に乗るのが好きでした。遠くの公園や遊び場、山や海、図書館や博物館など、車に乗った後は相当な確率で楽しいことが待っていたからです。車に乗せるとテンションが上がるペットの犬のようなものです。病院が近づくとテンションが下がるところも同じでした。今の私は運転が好きですが、それはこの時の気持ちと景色を原風景として持っているからかもしれません。

 今では考え難いですが当時はチャイルドシートやシートベルトに厳しい時代では無かったため、私は運転席と助手席の間にあるアームレストの上に座るのが定位置でした。姉は車に乗るとすぐに寝てしまう人で、後ろの席では静かにするのが暗黙のルールでしたので、後ろの席に座るのはつまらなかったのです。運転席の父と助手席に座る母にずっと話しかけて、眠くなったら後ろの席に戻るというのが遠出する時の車内の恒例でした。

 当時、車に乗っていて不安を感じたことはありませんでした。自動車メーカーに勤めていて開発車の試走もしているから運転には自信があると豪語していた父の運転は言うだけのことはあり、急発進や急停止などはなく、信号で停車する時すらほとんど慣性力を感じることさえ無かったような気がします。さすがに身体的な記憶は曖昧ですが少なくとも不安を感じるようなことが無かったことは覚えています。アームレストに座った子どもが大人しく座っていられるほどの安全運転でした。

 あの車内には安心がありました。危険や困難が取り除かれた状態を安全と言いますが、安全は不安と表裏一体のものでもあります。あの車内には安全ではなく、危険や不安を意識する必要すら無い、心の内に不安がまったく存在しない温かな安心があったのです。あの安心を与えてくれた両親に感謝すると共に、大人になったらもう二度とあの温もりを得ることは無いのだと少しばかりの寂寥感を覚えます。大人は安心を受け取るのではなく、安心を与える側に立たなければいけないのですから。

 私も気付けば大人になり自分の車で移動をするようになりましたので、誰かの運転でどこかに行く機会がとんと減りました。運転が好きなので運転手を買って出るせいでもあります。

 私は同乗者を乗せて走る時には、安全だけでなく、出来る限り同乗者が安心できるような運転をするように心がけています。まだまだ下手な運転ですが、あの時の父のような運転を目指していきたいのです。

久方ぶりの父の運転する車

 数年ぶり、いやもっとかもしれません。先日本当に久しぶりに父の運転する車に乗りました。父も今では定年を迎えた立派な高齢者です。車を運転をする機会も減っているのでしょうが、少し出かけるために運転を買って出てくれました。男二人でちょっとしたドライブです。

 私は父に性格が似ているためか、二人になるとそれほど会話をしません。私は特に語らなくても良いと思っていますし、父も私の考えていることなどお見通しでしょう。車内で男二人、ポツポツと少しだけの会話と長めの静寂を共に穏やかな道のりを走りました。

 歳を取ったために少し判断力が落ち動作も緩慢になった父の運転は、私が子どもだった頃と比べれば下手になっていたと思います。ブレーキは少し荒く、走り出しは鈍く、曲がり角はおっかなびっくりです。あまり安心できる運転とは言えませんでした。

 父が老いたのだという事実を前に悲しむべきだったのかもしれません。しかし私は特に悲しみは覚えませんでした。今ここに安心は無くとも、父の運転で何処かに出かけるということが子供の頃のように楽しかったからです。父の運転する車が、今でも変わらず好きでした。

 それに私が大人になった今、新しく安心をもらう必要は無いのです。あの頃もらったものは、今でもちゃんと懐かしさと共に私の内に残っているのですから。