しょうもない技術屋の言い訳をば少し。
職種によって残業の概念は異なる
所定の勤務時間内に仕事を終わらせるのが有能で、残業するのは無能である。
という言説は社会人であれば聞いたことがあるかもしれません。
いや、まあ強く否定するつもりはないです。同じ仕事量を渡してもさらっと終わらせてちゃちゃっと帰る人と、でろーんと仕事をしてだらーんと残業する人がいるのは事実です。
ただ、ただですね。職種や仕事内容によって「そもそもの仕事」が違う以上、単純に残業をする人は無能だという烙印を押すのは如何なものかと、毎日残業している無能な技術屋の私は言い訳をしたいわけです。
仕事には大きく分けて定型業務と非定型業務があります。
定型業務は仕事の内容に一定のパターンがあり、定常的に発生する業務のことです。ルーチンワークとも呼ばれます。例えば経費の精算や伝票の処理、備品の定期発注などです。
定型業務は仕事のやり方が決まっているため、それをこなす速度は有能無能を残酷なまでに分けてしまいます。定型業務がメインの人からすれば、残業するのは無能と考えるのも当然かもしれません。
対して非定型業務は定型業務ではない仕事を意味します。仕事の内容は不定で、やり方にはパターンが無く、不定期に発生する業務です。
非定型業務を主とする人からすると残業は止むを得ない場合があります。訳の分からない様々な規模の仕事が思わぬタイミングで投げつけられてくるため、それをこなすためには残業せざるを得ないのです。
私のような場末の技術屋の事例を一つ挙げてみます。細部を変えたフィクションです。
営業さん「もしもし?オレだよオレ。今顧客の現場に居るんだけど、試作装置が全然上手く制御できてないんだよね。これの測定結果が明日中に必要なんだけどさ、今すぐメールで測定データ送るから今夜中に問題点見つけてよ。これ結果出ないと受注取れないからよろしく。まだ18時だけどなんとか早く頼むよ。」
顧客でトラブル、考える時間はあまりにも無く、相手のエンジニアはこちらの回答を待ってスタンバっている。この状況で残業せずに家へ帰ることができる鋼メンタルの持ち主は技術屋・エンジニアにはなかなか居ないと思われます・・・というかここで帰る技術屋は技術屋としては仕事にならないので飛ばされてしまうかもしれません。与えられた時間内に技術的問題を解決できない技術屋は技術職に席を置いておくことはできないので・・・少しブラック感ありますね。あ、フィクションですよ、フィクション。はっはっは。
仕事に”終わり”がない
さらなる技術屋の言い訳として、研究職や技術職の仕事には終わりがありません。「所定量の定型業務をこなす」ことが仕事ではないからです。これはクリエイティブな結果を求められる仕事の共通項です。
新しい技術を開発する、売れる新製品を設計する、出来る限り製品を安く作れるようにするというような非定型業務を主としている研究職・技術職の仕事では、所定量の定型業務をこなすことではなく「制限時間内に可能な限りのクオリティを達成する」ことを求められます。この手の仕事は時間を掛ければ掛けるほど良いモノが出来上がるとは限らないくせに、それでも時間を掛けなければクオリティは上がりません。特に仕上げに近づけば近づくほど掛けた時間とクオリティは比例しなくなります。もう少し手を掛ければ良く出来そうだ、あと一息で理想的なモノが完成するかもしれない。これは研究職・技術職に限らず、何かを作ることに共通する課題だと思います。
もちろん制限時間内に結果を出すことは最低限として、あるラインを越えていれば良しとする人もいればあと一歩を追い求める人もいます。どちらの姿勢が正しいというわけではなく、むしろどちらも正しいのですが、あと一歩を追い求める美学というものがモノ作りやクリエイティブな分野にはあることも事実です。そんな美学なんて捨てちまえと言われるかもしれませんが、この美学こそが技術の発展や優れた創作物の創出に役立っているのです。
別に残業を推奨するわけではないが
働き方改革によって一律に残業を規制するようになったため、美学を追い求めるタイプの一部の研究者・技術者は仕事のやりがいを失いつつあります。適当にやらざるを得なくなってストレスを溜めたり、家に持ち帰ってこっそり仕事をするような状況です。悪く言えばワーカーホリックなのですが、この手の人たちに「美学を追い求めるな、残業しているお前らは無能だ」と言うのは酷な気がするなというのが場末の一技術屋の正直な気持ちです。彼らは無能ではなく、残業をしてでもより良いモノを作ろうとしているのですから。