忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

勉強はなぜ必要か~面白おかしく生きるために

 「勉強ってなんの役に立つの?」

 誰もが子供の頃に考える疑問です。大人になっても疑問に思うかもしれません。「え、勉強って面白いじゃん?」というのが私個人の答えではありますが、万人に適用できる汎用的な答えは見当たらない、なかなか難しい疑問だと思います。

 そもそも役に立つとはなんでしょう。金銭を稼げるかどうかで言えば職業によります。勉強が必要無い仕事もあれば勉強しないとどうにもならない仕事もあります。よって稼ぎの役に立つかと言われれば必ずしもそうとは言えません。

 生きる上で役に立つかと言われれば明確に役立ちます。法律や各種サービスの存在や活用方法を勉強して知っておけば得することができますし、科学的・数学的思考能力が鍛えられていれば怪しい物事に騙されることが減ります。読解力・国語力が無ければ話にもなりません。

 しかしそういった功利的な考えだと即物的過ぎてもったいないと私は思うのです。勉強って面白いんだぜ、役に立つかどうかじゃなくて楽しいからやろうぜ、ということをもっと啓蒙していきたい所存です。

世界の見え方が変わる

 勉強やそれによって得る知識・教養は足場のようなものです。学べば学ぶほど足場は高くなっていき、見通すことができる景色も変わっていきます。全ての人は矮人ですが、巨人の肩の上に乗ることで今まで見ることができなかった新しい世界を見ることができるのです。

 これは比喩ではなく、本当に見え方が変わります。眼球から得た情報は脳を通して認知するのですから、脳にどれだけ知識を蓄えているかでその映像情報の処理が明確に変化するのです。

 感覚的に一番分かりやすいのはデザイナーと一般人でしょうか。

 例えば私が何かの映画の宣伝ポスターを見ても「手前のイケメン俳優が主人公の映画かな、キャッチコピーからするとホラー映画っぽい」なんて思う程度です。

 これが俳優に詳しい人であれば、その俳優はどういう人で今までどんな役を演じてきたかということが分かるので、映画のイメージが沸きやすくなるはずです。また実際に映画を見た際もその俳優のバックグラウンドを知っていることから異なる見え方・楽しみ方ができるでしょう。

 デザイナーであれば、ポスターにおけるキャッチコピーや人物の配置、全体のレイアウト、フォントや色の使い方、全体の調和とメッセージ性というようなことに考えが及ぶと思います。デザインのことはさっぱり分からないのですが、恐らくデザイナーの方にはもっともっと深く専門的なことが見えているでしょう。

 このように知識や教養の差によって、同じものを見ていても見えているものはまったく違うのです。これは別にデザインに限った話ではなく、建築物や動植物、本や自然、ありとあらゆる物事において同様です。騙し絵のように物事が違って見えるのです。

 これって凄く面白いことだと思うのです。日々異なる世界を見ることができるようになると毎日が発見の連続です。退屈している暇なんてありません。そんな風に面白おかしく日々を生きるには勉強が必要なんだよ、と私は啓蒙したいのです。

勉強しないと分からない

 ただ難しいのは、勉強による楽しさは勉強しないと分からないというところにあります。教育を受けた者でないと教育の価値は分かり得ないのです。大人になってから勉強に目覚める人が居るのは今までの教育によって価値が分かるようになったからであり、まだ教育途上の若者にそれを伝えるのは難しくあります。

 これはなんともしがたい課題です。嫌がる子どもを引っ捕まえてでも勉強させるべきか、自由に任せるべきか、絶対的な答えは出しようがありません。面白おかしく生きる必要なんか無いという人もいるでしょうし・・・

見たくないものまで見えるようにはなるが

 知識や教養があれば巨人の肩の上に立つことができるので視野が広がります。時間や空間を超越した視点を得ることが出来るのです。しかしそれは同時に見たくもないイヤなものまで目にしてしまうリスクを持っています。世の中は綺麗事ばかりでも無し、無知は至福や知らぬが仏という言葉もあるように知らないほうが良かったと思うことは確かにあるでしょう。ただ、それでも私は勉強をして知識や教養を高めたほうが良いと考えています。

 何事においても基礎を身に付ける段階ではなかなか楽しみを見い出せず苦労ばかりになってしまいます。しかし努力による成功や勝利による喜びのように、楽しみの果実というのは苦労のその先にも存在しています。知らない方が幸せだと目先の苦しみを避けて、せっかくの楽しみを酸っぱい葡萄のように取り扱うのは勿体無いと、そう愚考します。