忘れん坊の外部記憶域

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真面目である、という悪癖

 最近真面目風な記事ばっかり書いてしまっている気がします。ダメダメですね、もっともっとふざけないと!

 どうにも疲れて弱っていると真面目風になってしまいます、その方が楽なので。楽に逃げてしまっているのです。いや、もちろん真面目が悪いと言っているわけではないですよ?タイトルで悪癖とかほざいてますけど。

真面目って簡単

 真面目って画一的で簡単なんですよね。ここ抑えときゃええんやろ?っていうのがはっきりしているので、まったく頭を使わないで済むのです。なので惰性で文章を書くと真面目風になってしまいます。

 逆にふざけたりボケた文章を書くときはもの凄ーく頭を使って何度も何度も書き直して面白くなるように努力しなければいけません、そうしなければ私の能力では面白くならないので。そっちのほうが真面目な文章を書くよりもよっぽど大変です。実際に面白いかはまあ、さておくとして。

 つまり私にとって一番適当な文章というのが一番真面目な文章というわけで。いやー、ややこしい。

真面目風に真面目を考える

 真面目は言葉の意味としては「本気であること、誠実であること」という立派なことなのですが、今回はもう少し俗的な意味での"真面目"について考えています。手を抜かないとか言われたことをしっかりやるとかの、プラスまで振り切っていないけども少なくともマイナスではないくらいのニュアンスです。

 世に多く居る”真面目な人”は献身的であったり利他的であったり優しかったりと善の属性を持っていることが多いかと思います。まあ真面目系クズなんて言葉もあるように上っ面なだけの場合もありますし、真面目な悪人は・・・居ないわけではないですが、レアケースです。

 真面目であること自体は決して悪いことではないのですが、だからといって称賛されるようなものではありません。何故ならば、世の真面目な人が示す献身や利他といった行為が善行なのであって、真面目そのものの属性が善なわけでは無いからです。だからこそ真面目系クズや真面目な悪人という属性が存在できるのであって、真面目なこと自体は善行ではありません。

 むしろ真面目なことが善であるとの誤解は、「真面目であればよい」という免罪符になってしまっています。真面目を装っていれば実際に善行を働かなくても批判を受けずに済むのです。そりゃあ真面目系クズなんて分類が生まれるわけですよ。

真面目のデメリット

 先に述べたように真面目というものには、ここ抑えときゃええんやろ?っていうテンプレ的な型があります。それは悪く言ってしまえば型に嵌っていて、標準的で独自性が薄く、イノベーティブではないということの裏返しとも言えます。スタンダードではありますが決してハイクオリティであることを保証するものではないということです。

 もちろん真面目であるに越したことはないですよ。ただ、真面目でありさえすればいいのかと言えばそういうわけではないでしょう。正しく真面目である人、つまり物事に本気で取り組む人は称賛されるべきですが、俗的な意味での真面目な人は言ってしまえばマイナスではないだけであって、決してそれがベストなわけではありません。正直に言えば真面目であることなんかよりも、独創的であることや生産的であること、尖っていて抜きん出ていることのほうが望ましい特性です。

真面目であるという悪癖

 真面目な態度や言動というのは楽なので習慣になってしまいます。しかしこれは明確に悪癖です。真面目な態度は他者からの批判を避けるための紋切り型のものであり、そこに個性や特徴は存在しません。決して悪くはないが、良くもない。そんな没個性的存在に堕してしまいます。

 もちろんTPOを弁えて真面目でなければいけない時はそう適応すべきですが、真面目に引き摺られて常に真面目であろうとするのは悪い惰性なのです。そんな楽をするための慣性は振り切ってもっと自由に生きねばなりません。真面目の仮面を外して自由に生きるのはもちろん大変ですが、そのほうが楽しいですし納得の行く人生を歩むことが出来るでしょう。

 

 ああ、ダメだ、結局クッソ真面目な文章を書いてしまっています。完全なる悪癖です。真面目の問題は「決して悪いことではない」ということに尽きるんですよね。悪くないから責められない、でも良いかと言われたらそういうわけでもない。真面目というのは実に厄介な悪癖です。