男にとっての面子
今回は真面目な話ではないので、断言調に書きますが統計的なデータはありません。たまには根拠の無い大雑把な話をしましょう。
世の男性の大半は見栄っ張りで面子を気にします。プライドが高く、時に面子を傷つけられることを恐れて攻撃的な態度を取ることもあるでしょう。
傍目から見れば馬鹿っぽいのですが、男が見栄を張るのを馬鹿にすべきではありません。これは立派な生存本能であり、男は見栄を張らなければ生きていけない弱い生き物なのです。優しく憐れむような視線で大目に見てあげてください。大目に見てくださいお願いします。
孔雀が立派な尾羽を見せびらかすのを馬鹿にはしないでしょう?そういうことです、そういうことなんです。ちなみに孔雀のあれは尾羽ではなく上尾筒という羽です。どうでもいいですが。
雌雄が分かれている生物では雄の個体数は基本的に重要ではありません。雌は出産による個体数の維持増加を担っている、というよりも雄にはそれが出来ないことから個体数は雌よりも少なくていいのです。雄10雌1では種を維持できませんが雄1雌10では種が維持できます。よって、大変厳しい話ですが男は半分以上死んでも問題無いことになります。存在するだけ資源を使う無駄飯喰らいというわけです。
そんな雄には辛い現実があるため、多くの種において雄は自らをアピールする必要に駆られます。雄が生き延びるためには生存に役立つ性能を持っていることや目立つこと、他の雄よりも優れていることを示さなければいけません。男の見栄は好きでやっているというよりも「私を生かしておくとお得ですよ、良い事しますよ、だから殺さないでください」という悲哀の裏返しなのです。男は見栄を張らなければ死ぬ生き物だというのは、まさに文字通りの意味です。
見栄の活用
そんなわけで見栄というのが大切なので、「カッコいい」かどうかは男にとって本能的に極めて強い動機付けになります。逆に言えば世の男性はこの本能を上手く活用すると便利です。例えば人前で何かを発表したりする時に緊張することがあるでしょう。そんな時は恐怖を紛らわすため、「こんな誰でも緊張してビビっちまうような状況、乗り切ったら俺、カッコいいぜ!」と思うと本能的に力と積極性が湧いてきます。馬鹿でガキですね。でも男ってそういうもんじゃないですか?多勢の同意を得られる自信はありませんが。
個人的なフェミニズム
私個人としては女尊男卑に寄った価値観を持っています。まあ、家庭環境がそういう感じだったのでその影響です。いやぁ、女性って強いよね。というか男って弱いよね、くらいな考えです。相手が男なら必要に迫られて争う事も止む無しですが、女性と争うとか嫌ですもん、絶対勝てないので。敵前逃亡せざるを得ません。
そんな価値観なので、女性は弱いから助けなければいけないというような類のリベラルのフェミニズムにはあまり同意していなかったりします。女性だからという理由で不利になっている物事は是正改善すべきだと確信していますが、政治のクォータ制のようになんでもかんでも女性に下駄を履かせようとするのは女性を馬鹿にしているのではないかと思ってしまうのです。女性ならではの弱さは補助されるべきですが、では男性はなんでも強いのかと言われたらそうではありません。むしろ男のほうが弱いんじゃないかと私は思っていますし。
また多様性が好みでもあるため、「男らしさ」「女らしさ」という価値観を否定する気もさっぱりありません。ジェンダー論のような「らしさ」の否定は好みじゃないんです、あれは多様性を損ないます。「らしさ」が有ってもいいし無くてもいい、なんでもいいじゃん好きにしろよ、と全部認めることこそが多様性であり、わざわざ相手の考えを否定する必要なんてありません。互いに押し付けはせず認め合う、ええんやで精神こそが争いを避ける最適な方法だと信仰している次第です。
それはつまり、フェミニストの活動家を完全に否定しているわけでもないんです。活動家の人々は「らしさ」を押し付けられてきたからこそ反発しているわけで、それは納得できることです。ただその反発のやり方として「らしさ」の否定をするのはあまり良い方法ではないと考えます。それでは同じことをやり返しているだけですのであまり効果的ではありません、結局新たな反発を生むだけです。
世の中がもっと「なんでもいいじゃん」となることを私は希求するばかりです。
余談
差別と多様性について考えているとどうしてもフェミニズム・男女格差の話が出てきます。大変にセンシティブで触れにくい話題で、適当な話の形でないと書けないくらいには取り扱いに悩みます。