私のいくつかある趣味のうち一つは歴史を学ぶことですが、歴史の中でも特に科学技術史と戦史を学ぶのに時間を掛けています。理由は単純で、科学技術史はエンジニアとして好きだからであり、戦史は戦争が嫌いだからです。
世の中に戦争が好きな人は、まあ一部を除けばほとんどいないと思います。しかし戦争は病気と似たようなもので、嫌いだからといってただ遠ざかればいいというわけでもありません。ガンを避けるにはガンを忌み嫌うのではなく、ガンになる原因を理解し、それこそを避けなければいけません。戦争も同様です。戦争そのものを忌避するのではなく、戦争原因こそを理解して回避する努力が必要だと信じます。だからこそ民主主義国家の国民は戦争を学び、それを避け得る政治家を選択しなければいけないと考えます。うん、少し壮大な物言いをしている気がします。
2005年のロバート・ジョン・オーマン教授の講演がとても分かりやすいため、今回はその内容を紹介させていただきます。この方はゲーム理論を安全保障分野に応用して対立と協力の理解を深めた功績でノーベル経済学賞を受賞されています。すなわち戦争と平和を分析する最高峰の専門家と言えるでしょう。
講演内容(抄訳)
I would like to suggest that we should perhaps change direction in our efforts to bring about world peace. Up to now, all the effort has been put into resolving specific conflicts: India–Pakistan, North–South Ireland, various African wars, Balkan wars, Russia–Chechnya, Israel–Arab, etc., etc. I'd like to suggest that we should shift emphasis and study war in general.
私は、世界平和を実現するための努力の方向性を変えるべきではないかと提案したい。インドとパキスタン、南北アイルランド、アフリカ諸国の戦争、バルカン半島の戦争、ロシアとチェチェン、イスラエルとアラブなど、これまでは特定の紛争を解決するためにあらゆる努力が払われてきました。私が提案したいのは、重点を移して、戦争全般を研究すべきだということです。
Let me make a comparison. There are two approaches to cancer. One is clinical. You have, say, breast cancer. What should you do? Surgery? Radiation? Chemotherapy? Which chemotherapy? How much radiation? Do you cut out the lymph nodes? The answers are based on clinical tests, simply on what works best. You treat each case on its own, using your best information. And your aim is to cure the disease, or to ameliorate it, in the specific patient before you.
比較をしてみましょう。ガンには2つのアプローチがあります。1つは臨床です。例えば乳がんだとします。どうしましょうか?手術?放射線?化学療法?どの化学療法?放射線の量は?リンパ節を切除する?これらの答えは臨床試験から単に何が最も効果的であるかに基づいています。貴方は自分の持っている最高の情報を使ってそれぞれのケースを治療します。そして貴方の目的は目の前の患者さんの病気を治すこと、あるいは改善することです。
And, there is another approach. You don't do surgery, you don't do radiation, you don't do chemotherapy, you don't look at statistics, you don't look at the patient at all. You just try to understand what happens in a cancerous cell. Does it have anything to do with the DNA? What happens? What is the process like? Don't try to cure it. Just try to understand it. You work with mice, not people. You try to make them sick, not cure them.
また、別のアプローチもあります。手術も放射線も化学療法も行わず、統計も患者のことも一切見ません。ただ、ガン細胞で何が起こっているのかを理解しようとします。それはDNAと関係があるのか?何が起こるのか?そのプロセスはどのようなものか?治そうとするのではなく、ただそれを理解しようとするだけです。貴方が扱うのは人ではなくマウスです。治そうとするのではなく病気にしようとするのです。
War has been with us ever since the dawn of civilization. Nothing has been more constant in history than war. It's a phenomenon, it's not a series of isolated events. The efforts to resolve specific conflicts are certainly laudable, and sometimes they really bear fruit. But, there's also another way of going about it—studying war as a general phenomenon, studying its general, defining characteristics, what the common denominators are, what the differences are. Historically, sociologically, psychologically, and—yes—rationally. Why does homo economicus—rational man—go to war?
文明が興って以来、戦争は私たちと共にあります。歴史上、戦争ほど不変のものはありません。それは現象であって、孤立した出来事の連続ではないのです。特定の紛争を解決しようとする努力は確かに称賛に値しますし、時にはそれが本当に実を結ぶこともあります。しかし、戦争を一般的な現象として研究し、その汎用的で決定的な特徴、共通点や相違点を研究するという別の方法もあります。歴史的にも、社会学的にも、心理学的にも、そしてそう、理性的にも。合理的な人間であるホモ・エコノミクスはなぜ戦争をするのでしょう?
(中略)
It is a big mistake to say that war is irrational. We take all the ills of the world—wars, strikes, racial discrimination—and dismiss them by calling them irrational. They are not necessarily irrational. Though it hurts, they may be rational. If war is rational, once we understand that it is, we can at least somehow address the problem. If we simply dismiss it as irrational, we can't address the problem.
戦争が不合理だというのは大きな間違いです。私たちは戦争やストライキ、人種差別など、世界のあらゆる悪事を取り上げてそれらを不合理だと言って片付けてしまいます。それらは必ずしも不合理ではありません。苦しいことですが、合理的であるのかもしれません。もし戦争が合理的であれば、それを理解した上で、少なくともその問題に対処することができます。単に不合理だと言って退けてしまえば、問題に対処することはできません。
感想
私は権威主義者というわけではありませんが、冷戦期に熱戦とならないよう尽力し実績を上げた学者先生の仰ることには納得せざるを得ません。というよりもむしろ大変に同意しています。
例として私の働く製造業では不良品を強く忌避します。不良品は企業へ損失を与えるのみならず、ものによっては社会や個人を傷害してしまうものだからです。では「不良品は駄目だ、絶対発生しないようにしろ!」と言えば不良品が出なくなるものでしょうか?当然ながらそんなことはありません。不良品の発生を避けるためには何故不良品が発生するのかを観察し、調査し、分析して原因を取り除く必要があります。まさしくロバート・オーマン教授の述べる通りのことを行っているわけです。
私たちの日常や人類社会の前には様々な忌避すべき問題が存在します。それらから遠ざかるためには耳を塞いで目を閉じるのではなく、それを学び、理解し、適切に避難すべきだと考えます。