忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

記念日やイベントの日を覚えられないことに関する言い訳

 年の暮れ、年末年始が近づいてきました。特に深い理由も無く、むしろ浅い理由すら無く何も考えずに毎日更新しているこの駄ブログではありますが、年末年始に記事を書く元気はさすがにございません。書けたら書きます、というくらいの意気込みです。「行けたら行きます!」ってなもんです。

 とはいえここまで走ってきてここで急ブレーキをかけると、恐らく私は骨折します。具体的には書く気力を失うと思われます。止まると死んでしまうサバ科のような人間なのです、ラム換水です。勢いで書いている以上続けるのであればこのまま慣性力を活用して進む以外にはありません。動き出しの静止摩擦力と向き合うくらいであれば継続することによる動摩擦力と戦ったほうがマシです。

 そういうわけでしばらくは実験的な記事を多めに書いてみたいと思います。少しおふざけ的であったり変な文章であったりと遊び要素を強めにして、軽い気持ちで書きやすそうなことを書いてみます。そのような文章であれば恐らく師匠が全力疾走するような忙しさの中でも書きやすいですし多少記事ストックを作れるかもしれませんので。師走の師匠はどのくらいの速度で走るんでしょうね?クラウチングスタートする師匠とか見てみたいです。「元々変な文章だろ、何をいまさら」とかはツッコまれると哀しくなるので止めておいていただけますと幸甚です。もちろん真面目風を装ったいつも通りの記事も書けたら書きます。・・・行けたら行きます!

 「行けたら行く」で来た試しが無い、と思ったのですが経験上本当に来た奴も居たので侮れない言葉ですホント。

 そもそもストック記事を作ろうとしてまで毎日投稿をする理由は無いのになぜ続けるのでしょうね?世の中には不思議が一杯です。

記念日やイベントを覚えられない

 世間はクリスマスや正月が近いのですが、どうにもこの手の記念日や祝日、イベントの日などを覚えるのが苦手です。さすがに正月くらいは辛うじて覚えていますがそれもオフクロからの「今年の正月はいつ帰ってくるんだい?」という電話あってこそであり、祝日や記念日は壊滅的です。両親や姉妹の誕生日どころか自分の誕生日だって怪しいというのに、世間的なイベント日を覚えるなんて無理だと思いませんか?

 と開き直ってみても仕方がないので原因を探ってみましょう。

 恐らくですが、記念日やイベント日をハレの日と認識していないせいだと考えます。

 日本の民俗学者である柳田國男は日本の伝統的な考え方の一つに「ハレとケ」を挙げています。ハレは儀礼やお祭りのような折り目・節目である非日常、はそれ以外の普段通りである日常を意味します。ハレは晴れ着のハレです。いや逆ですね、ハレの日に着るから晴れ着です。昔は普段着をケ着と言ったそうですが、今では使われていない言葉になりました。

 「ハレとケ」は日常と非日常を明確に分類する感覚であり、農業が盛んであった日本としては一般的な感覚なのですが、私個人としては日常というのがあまり理解できていないのだと思います。目にし、耳にし、触れ、味わい、語ることは日々異なります。仕事だって同じことを繰り返すような類のものでは無く、日々異なることを処理し、設計し、対処するのが仕事です。日常というものが変わらない同じ日々、常日頃ということであれば、私は毎日をそうとは捉えていないため日常という感覚が希薄なのでしょう。昨日は今日とは違い、今日は今日であり、明日はまた今日とは違う日です。同じ日が二度と来ない以上、日常とは実在しないものではないかという感覚を持っています。

 あと単純に記憶力が悪い忘れん坊のため、昨日何を食べて何を話したか、何を見て何を聞いたかなどを忘れているせいかもしれません。むしろこっちが主原因な気がしてきました。それっぽいことを言ってお茶を濁そうかと思いましたがこれは言い訳にならないですね。

 まあ言い訳がましく語り続けますが、努力をしてないわけではないのです。カレンダーに書いたりはするのです、ですがそもそも書き忘れたりカレンダーを見忘れるためあまり効果が無いのが実情です。ロクでもない話です。

 私の知人はそのあたりを斟酌していただけるとありがたいです。知人にブログを書いていることは伝えていないのでここで言っても無意味ではありますが。「お前今週誕生日じゃなかったっけ?」「え、そうだっけ?」という流れが隔年くらいで発生するあたり、恐らく察してくれているとは思います。

 こう、コンピュータがもっと進歩して、私が忘れていることを教えてくれるようなAIが登場することを期待します。私が忘れないようにするよりは簡単じゃないでしょうか?