忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

温度に下限はあるが上限は無い

 新年なので理系的蘊蓄と精神論を混ぜ込んで一つ小話を。新年といえば抱負、抱負と言えば熱意、という連想で温度の話をします・・・かなり無理のある連想です。

温度の単位

 温度は物質の温冷の度合いを表す指標です。現代社会では温度を測るという行為は一般的ですし、温度は気象情報などで日常的に触れるものですが、測定の歴史自体は案外浅いものです。諸説ありますが16世紀頃からようやく温度を具体的な尺度で測定することが研究され始めました。

 日本で一般的に用いられる温度の単位はスウェーデンのセルシウスが18世紀に考案したセルシウス度(℃)です。他にもケルビン(K)は理科的な分野で時々触れることがあるかと思います。温度の単位は他にもファーレンハイト度やランキン度、レオミュール度など多数ありますが、話が長くなるので詳細の紹介は控えておきましょう。基本的には「何を何の目的でどう測定するか」の違いによって様々な温度単位が考案された結果、一番使い勝手のいいケルビンとセルシウス度が残ったと考えて良いです。ファーレンハイト度を未だに使っている一部地域(世界一位の大国)のことは忘れましょう。

 セルシウス度はシンプルで、水の凝固点を0℃、沸点を100℃としてその間を等間隔で分割したものです。身近な水を使っていることから直観的に使いやすいため温度を表す時に高頻度で使われています。

 ケルビンは定義が面白いです。2019年に単位の新定義が制定され、かつては水の三重点から定義されていたケルビンは時間重さ長さボルツマン定数から定義されるようになりました。温度の定義なのに時間や重さや長さが関わってくるのはどうにも不思議なものです。

そもそも温度とは?

 物質の温度はその物質を構成する原子の振動によって決まります。これを熱振動と言い、原子の振動が大きければ大きいほど温度は高くなります。

 温度の下限絶対零度と呼ばれるものです。セルシウス度では-273.15℃、ケルビンでは0Kです。原子が停止している状態であり、これよりも低い温度は存在しません。厳密な話をすれば完全に停止している状態でもなく、さらには負温度というものもありますが、それらは話が難しくなるので置いておきましょう。少なくとも温度の下限は絶対零度と考えて問題ありません。

 温度の上限はありません。原子が振動すればするほど温度は無制限に上がっていくのです。こちらも厳密に言えばプランク温度が上限と言っていいかもしれませんが、それは物理的に意味のある数値という意味での上限であり実際の上限とはまた異なります。

 つまるところ、温度には下限がありますが上限は無いと覚えていいでしょう。科学は厳密に話そうとするととても複雑になってしまい大変なのです。厳密性にこだわり過ぎないことも時には必要です。

活動や熱意を温度で考える

 温度の上限下限、これは人間の活動についても言えると考えます。人の行動や熱意の下限は何も行わないこと、何も願わないことであり、これ以下はありません。それは停止している状態、つまり絶対零度と言えるでしょう。

 対して人間が動いたり熱心になっている時は運動エネルギーやポテンシャルエネルギーを持っている状態であり、温度が高くなっています。実際に体を動かして活動すれば体温が上がりますが、熱意や熱心、熱中など、心が活動している場合でも熱量が高くなっている表現を用いるのは言葉の妙と言えるでしょう。

 温度には上限がありません。物理的な活動については投入できるエネルギー量が上限ではありますが、心の中の温度はまさに上限無しの無限大です。だからこそちょっとしたネガティブやマイナスなんて吹き飛ばすのは簡単なことです。マイナスなんてせいぜいが-273℃程度ですが、プラスはそれこそプランク温度を上限としたって+100000000000000000000000000000000℃くらいであり、まさしく桁違いなのです。

 新年は抱負を抱くにちょうどいい時期です。その際は温度に上限は無く下限はとても小さいということを覚えておくと熱意が沸いてくるかもしれません。マイナスなんて本当にちっぽけなものなのです。

 もちろん具体的な活動は投入できるエネルギーの上限がありますので無限大を出すことは出来ませんが、心の中の温度は制限無しの自由自在です。そうであればせっかくですので出来る限りの高温を目指してみるのも面白いでしょう。

 

余談1

 合理的に見えて案外そうでもない、論理的に見えて全然そうでもない、この手の理系的精神論、理系的熱血が案外好きなのです。

余談2

 厳しい表現になりますが、何も活動的なことをしておらず熱意も持っていない状態、つまり停止している状態はセルシウス温度で言えば-273.15℃です。何もしていないのであれば0℃、というわけではなくマイナスなのです。だからこそ人は熱意を持ち、活動的であったほうが良いと思います。