忘れん坊の外部記憶域

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優越感と劣等感を捨てるなんてとんでもない

 人の感情の中でも特に強いものの一種に優越感劣等感があります。これらはどちらもあまり好ましくないものとされがちではありますが、だからといって消し去れるものでもありません。むしろ適切に取り扱うことが出来ればとても有益な感情のため、消し去ることなんて考える必要はありません。

優越感と劣等感の功罪

 優越感は自分が他人よりも優れているという感情です。これが過ぎると傲慢や増長、他者への睥睨や謂れなき侮蔑に至る危険があるため、抑えるべき感情だと考えられています。しかし適切な量の優越感は自尊心の構築や自己肯定感を高めることに役立つため、安易に抑え過ぎることもよろしくありません。

 劣等感は自分が他人よりも劣っているという感情です。これが過ぎると自信や勇気の喪失、無力感、他者への嫉妬心などに至る危険があるため、優越感と同様に抑えるべき感情だと考えられています。しかしながらこちらも適切な量であれば向上心や他責によらない自責の獲得など役立つことも多数あります。

 功罪はコインの表裏であり、悪しき面もあれば善い面もあるものです。もちろん優越感や劣等感に支配されるようなことは避けるべきではありますが、過剰に囚われないのであればこれらは必要なものであり、ただただ抑制しようとするのは悪手です。

 必要なのは感情を持ち、そしてそれに囚われない客観性です。客観性を伴った優越感は、自らが他者よりも優れているのであればその分を他者に施そうという慈愛に転じます。客観性を伴った劣等感は、自らよりも優れた他者を羨望し尊重する尊敬に転じます。慈愛と尊敬はどちらも良い感情と言えるでしょう。それらは好ましくないとされる優越感と劣等感から生まれるのです。

優越感と劣等感を捨ててしまうとどうなるか

 そもそも感情は意図せず湧き上がってくるものです。これを無理に抑制しようとすると心のバランスを崩してしまいます。部屋が汚れないように埃の出現を抑止するのは無理であり、やるべきことは定期的な部屋の清掃です。同様に、感情も出てくることを無理に抑えるのではなく出てきた感情をどう取り扱うかが重要なのです。

 ここ数年話題になっているアンガーマネジメントなどが良い事例です。怒り(アンガー)を抑圧(リプレッション)・支配(コントロール)するのではなく、適切に管理(マネジメント)することを説いています。

 優越感を過剰に抑えると利得である自尊心や自己肯定感を損なうことになります。それは故無き不安や心配を引き起こしてしまうため精神の安定に資するものではありません。

 劣等感を過剰に抑えると前向きな気持ちを損なうことになります。劣等感自体はネガティブな気持ちかもしれませんが、向上心のようなポジティブな気持ちは他者よりも劣っているところを客観的に把握した結果生まれるもののため、劣等感を抑えるとポジティブな感情さえも抑制されてしまいます。

 そして優越感と劣等感はどちらも他者との比較によって生まれる感情です。これらを本気で抑制するには他者との比較を意識的に避ける必要があります。そのためには極論ではありますが己の殻に閉じ籠り外部環境に興味を持たないことしかありません。哲学者のカントが言うように物事の価値はほぼ全てが相対的価値であるため、その相対性を捨て去るには己個人以外に関心を持たない他は無いのです。

 しかしそれでは人として生きているとは言えないでしょう。人は一人では生きていけないものであり、何を為すにしても、そもそも生きることそのものにおいても他者や外部環境との関わりと恩恵を賜っているものです。

 さらに言えば「他者に関わらず己一人で生きているのだ」という考えは優越感に支配されていると言ってもいいでしょう。私は他者よりも強いから一人で生きていけるのだというのは過剰な優越感の発露であり、誤った認知だと断定できます。

 結局のところ優越感と劣等感を消し去るのは不可能であり、どう取り扱うかに腐心した方が良いということです。

結語

 ある感情を悪いと判断してそれを抑制するような方法は上手くいきません。感情に関わらず物事には正邪・功罪・長短があるものです。悪しき面を忌避して遠ざけることは表裏となっている善い面も損なうことになります。清濁併せ呑み、善い面を多く表出できるよう努力するほうが良いでしょう。