忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

真面目であること、真摯であること、誠実であること

 真面目なんてのは悪癖だ、真面目君は良くない、あっしは不真面目でござい、と私はよく語るのですが、今日は正面から真面目に【真面目】というものに向き合います。

 

真面目を好まない理由

 正直なところ自分で言うのはアレなのですが、私は真面目な人間なのかもしれないと思うことがあります。友人や同僚にお前は真面目だと言われるので洗脳されているのかもしれません。

 私はピッチリ背筋を伸ばしカッチリ歩んでいくシャキッとした立派なタイプではありませんし、仕事の態度はもう完全に不真面目です、それには自信があります。

 ただ、時に後ろを振り向いたり横に逸れてみたり蛇行したりしつつ、なんだかんだ愚痴を吐きながらも為すべき行動から逃げ出さずに向き合ってしまう、そんなやっかいな真面目さを持っているような気がするわけです。態度は極めて不真面目であることは自覚しているのですが、結果に対しては真摯でなければならないという半ば強迫観念に近いものが心の内に存在します。

 ただ私としてはそれは真面目さを起因としているのではないのです。やるといったからにはやらないと恥だ、人に出来ないことを出来たらカッコいいから成し遂げてやる、プロ意識が無いなら技術者なんてやるべきじゃない、という類の見栄っ張りが理由であり、それは行動としては真面目に見えるかもしれませんが別に心の中が真面目なわけではないので、どうにも私は自分のことをカッチリ真面目な人間だとは考えにくいのです。

 はっきり言って中途半端です。真面目でありたいなら態度も真面目であるべきですし、不真面目でありたいならば結果にだって不真面目であるべきです。いや、結果に不真面目ではありたくないな・・・とか思ってしまうところが微妙に真面目で困ってしまいます。

 そんな中途半端な微妙真面目人間だからこそ真面目を不真面目に揶揄してしまうのです。真面目でありたいと願っていないくせに真面目を捨てられず、真面目に見える行動を取ってしまうような自分の筋の通らなさが納得いっておらず、つまりは自己嫌悪が理由です。さらに言えば人からは真面目扱いをされるため天邪鬼的に真面目を否定してしまうのです。うーん、ろくでもない話ですね。【真面目】からしたらいい迷惑です。

 例えばこの駄ブログも毎日更新しているわけで、よそ様から見れば真面目に見えるかもしれません。でも私としては別にやりたいからやってるだけで真面目だからやっているわけではないしなー、と思うわけです。じゃあたまにはサボったり休んだりすれば?と言われればそれは嫌だと思うのですが。なんとも自縄自縛。

 

真面目さ、真摯さ、誠実さは宝物

 そんな中途半端な私のことはさておき、真面目であることはどうかと言えば、それは得難い美徳の一つであることに間違いありません。真面目であること、真摯であること、誠実であることは社会的生物である人間にとって極めて重要です。

 過去にも書いたことがありますが、社会組織は「約束」と「信用」によって成り立っています。

 細かく語ると過去の記事と被ってしまうため端的に述べますが、誰もが約束を果たすからこそ社会組織は成り立ちます。約束を果たせない構成員はその社会集団に属することができません。

 約束を果たすことで得られるものが信用です。無形ではありますが、信用こそが社会組織に属するものの最大の財産と言えます。だからこそ約束を果たして信用を守ろうとする責任感には価値があり、その責任感に連なる美徳こそが真面目さ、真摯さ、誠実さです。

 例えば誰かに相談事をするとします。誰にするかといえば当然ながら信用できる人に話すでしょう。その信用の根源は、相談事に真面目に向き合ってくれること、真摯に聞いてくれること、誠実に取り扱ってくれること、責任感を持って結果に協力してくれること、というような理由があるからです。

 急ぎの仕事があって誰かに頼まなけばいけないとします。当然依頼するのは信用できる人でしょう。どれだけ能力があっても期日に対して不真面目で完了するかどうか信用できない人に緊急の仕事は頼めません。

 実績、能力、技能、態度、見た目、その他にも信用を産み出すものは様々あります。しかしそういったものを差し置いてまず何よりも真面目であること、真摯であること、誠実であることこそが信用を産み出す土台として最たるものであり、だからこそこれらの美徳には極めて大きな価値があるのです。

 

余談

 特に経営者や管理職の方は真面目さについてよく心得ておいたほうが良いかと考えます。真面目というのは時に融通が利かない頑固なものだという誤解がありますが、正しい意味合いとしては「本気であること、誠実であること」であり、つまり相手に対して真摯に向き合うということです。

 部下は上に立つ人の能力や実績をさほど気にしません。多少抜けていようが間違えようがその程度のことは許容してくれます。しかしながら、真面目に、真摯に、そして誠実に向き合ってくれない上の人間に従うことは絶対にありません。真剣にこちらを見てくれない上司を部下が信用して付き従う理由なんて無いのですから。