極めて個人的な経験則ですが、ちょっとしたことでも即座に動いて処理できる、つまりレスポンスが早い人はほぼ間違いなく仕事ができる人である、と考えていました。
難しい仕事で差が出るのはもう仕方ないことで、むしろ差が出て当然です。そうではなく本当にちょっとした小さな依頼や仕事においても仕事ができる人とそうでない人はレスポンスの速度自体に差が出ると感じていたのです。
本日の記事は仕事におけるちょっとシビアな話です。
事例紹介
ちょっとした小話を例としてみます。
レスポンスが早い人
「例の件の資料ってどんな感じで作りました?」
「ちょっと待ってねー、よし。はいはいどしたの?あー、例の件のやつね。あれならサーバのあの辺、よっと、これこれ、ここに置いてあるよ。資料はこれとこれがあるけどどっちが知りたい?オーケーこっちね、じゃあ今印刷するから持ってきなー。あ、こことここはちょっとややこしいから作る時に注意したほうがいいよ」
レスポンスの遅い人
「例の件の資料ってどんな感じで作りました?」
「ごめん、今忙しいから用意して後で持ってくよ」
~半日後~
「すみません、例の件の資料についてなのですが」
「ああ、ごめん、忘れてた。資料どこにあるか覚えてないから探しておくよ。明日また来て」
~次の日~
「すみません、例の件の資料についてなのですが」
「はい、これでいい?」
「あ、すみません、これじゃなくてもう一つのほうの資料です」
「そうなの?じゃあ探してまた後で持ってくから待ってて」
レスポンスが早い人に何かを頼むと、困った事態はまず起きないどころか仕事が実に快適に進みます。対して遅い人に何かを頼んだ際は大体の場合で質や時間に関する余計な問題が追加発生してしまいます。
そもそも逆だった
なぜレスポンスが早い人は仕事ができるのだろうと若い頃は不思議だったのですが、よくよく考えてみると私が馬鹿なだけでした。考えるまでもなく逆だったのです。レスポンスが早い人は仕事ができるのではなく、仕事ができるからレスポンスが早いというのが事実です。考えるまでもなく当然のことであり、私の考えが浅かっただけで不思議でもなんでもないことでした。
仕事ができる人は整理整頓がしっかりできているので、探すことに時間を取られません。
仕事ができる人は仕事の整理ができているので案件がとっ散らかっておらず、案件毎に経緯や結果がまとまっています。
仕事ができる人は仕事のフローが頭に叩き込まれているので、必要な情報や方法について先手を打つことができ、他者にアドバイスもできます。
仕事ができる人は直前の納期に追われていないため、頼み事をされた時にすぐそちらへリソースを割くことができます。
だからこそ仕事ができる人は適切なレスポンスを早く行うことができるのです。
シビアで厳しい表現となりますが、何かを聞かれた時に「はいはいなんだい?」もしくは「今ちょっと手が離せないから数分だけ待ってもらえる?終わり次第すぐそっちに行くからさ」というような高反応の人には良い結果を期待できますが、「今忙しいから後にして」というような低反応の人からは良い結果を得られたことがありません。
反省
「レスポンスが早い奴は仕事ができる奴だから、レスポンスは早いほうがいいよ」と昔は若手に対して教えていました。最近はそういう風に教えることは止めています。逆だからです。間違えたことを教えてしまい反省しています。
今は上に書いたような理由を説明し、整理整頓やプロセスを理解することの効果、納期前に仕事を終わらせることの意義といったことを教えて、これらができるようになればレスポンスの早い仕事ができる人になれるよと教えています。
レスポンスの早さを求めること自体は若手の納期意識教育にちょうどいいため、今でも必ず教育する項目の一つです。納期意識についてはまた別の記事で追々紹介したいと思います。
実話
面白い内容ではありませんが実際にあった話をしましょう。新任部長が配置された時の話です。
新任部長が何らかの情報を必要とした時、以前はメーリングリストで部内に連絡が回りました。「〇〇〇に関する計算資料を送ってください」というような形です。
するとエース級の数人からは経緯や根拠がしっかりとまとまった適切な資料が即座に送付されます。普通の人からは普通の資料が普通の速度で送られます。一部の人は期日ギリギリで目的に沿わない焦点のずれた資料を送ったり、後回しにして期日内に送りません。
最初の頃、新任部長は未回答者に対して督促を掛けたり、送られてきた資料について追加要求をしたりしていましたが、しばらくするとそもそもメーリングリストで依頼することが無くなりました。エース級だけに直接聞いたほうが高品質な情報だけを早急に手に入れることができることに部長が気付いてしまったためです。
これは「仕事ができる人はレスポンスが早い」ということの良い事例です。ついでに言うと仕事はできる人に集中するという嫌な現実の事例でもあります。なんともはや。
余談
今回は少しシビアな話をしましたが、仕事ができるできないは善悪の問題ではなく価値観の差異ですので、誰もができるようになる必要は無いでしょう。私にとって仕事はゲーム感覚のためできないよりもできたほうが楽しいという考えですが、皆がそう考えるべきとはまったく思いません。自らが生きやすい加減で仕事をするのが一番です。
だからこそ仕事術に関して教育する時は「できないと駄目だ!」という考えではなく、「できるようになりたいのならこうしたほうがいいよ」というスタンスです。まあ、お偉いさんからすれば良い教育者ではないでしょうね。