忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ニュースは時々役に立つ娯楽

 ニュースには有益論と害悪論があります。

 有益論としては、ビジネスで使える、情報収集は社会人にとって必須スキル、世間話のネタになる、知らないと非常識と思われる、といったところでしょうか。

 反対に害悪論としては、自身の生活の役に立つニュースはほとんどない、時間の無駄、ストレスの元、というようなところでしょう。

 どちらの言い分も分かります。分かるのですが、そもそもニュースというもの自体が幅広いですし受信者の前提条件もバラバラなため、ちゃんと層別をしないと「どの」ニュースが「何の」役に立つ/役に立たない、という話ができません。双方で対象とする議題の前提がバラバラのため、不毛な論争となっています。

 例えば芸能界に一切関係が無い人が芸能ニュースを見るのは無駄、という意見には一理ありますが、芸能ニュースが職場で主流の話題であるならばそれは役に立つ情報と言えるでしょう。マーケットに関連する仕事をしている人が各所の業界動向をニュースから仕入れないのでは仕事に支障が出るでしょうし、国内向けの製品を製造している人が海外ニュースを見る必要は特に無いです。

 そういうわけで、いつもの玉虫色の日和見主義的な意見としてニュースが有益か害悪かは人によるという考えです。つまらないですね。

 以降は独断と偏見による持論、私にとってのニュースを語ります。

 

ニュースは面白いから見る

 私はニュースが好きです。何故ならば面白いからです。小学生並みの感想ですが、新しい情報を仕入れるのが面白いと思うタイプの好奇心を持て余している好奇心全振り人間なので仕方がないです。つまりニュースを娯楽と捉えています。

 有益とか害悪とかは特に気にしていません。うん、前段の話はなんだったんでしょうね。まあゲームと同じようなものです。ゲームにも有益論と害悪論がありますが、好きな人はそんなこと気にせずやっているでしょう?趣味に掛ける時間なんて人から見たら無駄ですし、自分にとっては無駄ではないというだけのつまらない話です。

 ニュースを楽しいと思えるかどうかはバックグラウンドをどの程度理解しているかに依るでしょう。人の好奇心や情報の探求心が生まれるには「情報ギャップ・情報の空白」が不可欠だとされています。まっさらなものを見ても人は興味を惹かれませんが、一部が隠されているとそこに何があるのかを知りたくなるというわけです。

 例えば昨今の国際ニュースであればウクライナ問題が一番騒がれているでしょうが、興味が無い人からすれば「はー、大変そうだなー」くらいの感想でしょう。情勢を理解して興味深くニュースを見るためにはロシアとウクライナの歴史、ウクライナの地政学的な意味合い、ウクライナの主要産業、ウクライナ騒乱とクリミア危機、NATOの東方拡大、欧州のエネルギー政策、各国首脳の狙い、有事に至った場合市場にどのような影響が出るか、といった背景情報を知らなければ興味関心を持つことは難しいです。

 つまりニュースを見て知的好奇心を満足させるにはまずもって周辺情報を無数に持っていることが前提となります。ここが知的好奇心の面白いところで、知的好奇心に従って情報を収集するとどこかに欠落が見つかる、その欠落を埋めると今度は別のところに欠落が発生するのでまた情報を収集する、というように、知的好奇心はそれ自体が知的好奇心を育むセルフフィードバックループの構造を持っています。

 そう考えるともはや知的好奇心の奴隷になったかのような気もしますが、それもまた一興として大人しく従っている次第です。それが楽しいのだから仕方ないですね。

 

手に入れてみないと役に立つかは分からない

 ニュースに限った話ではないのですが、役に立つかどうかというのは手に入れてみないと分からないものです。人の役に立たなくても自分には役立つものもあれば、今役に立たなくても将来役に立つことだってあります。

 ニュースについても同様で、何がどう役に立つか分からないのですから手に入れておいて損は無いと考えます。もちろんそればかりに掛かりきりになって時間を浪費してしまったり、SNSやニュースのコメント欄を覗いてストレスを溜めるようなことは避けるべきですが、労力を掛け過ぎない程度の情報収集は時に何らかの役に立つものです。

 いえ、むしろ役立つかどうかではなく、役に立てればいいのです。特にモノづくりをしていたり自ら情報を発信する人であれば同意いただけると思いますが、何らかの新しい物や情報に触れた時には「これを参考に何か作れないか」「この情報で記事が書けないか」「これを使って動画を作れないか」と活用する方向に思考が働くと思います。

 そのような前向きの方向で考えれば時々は実際に役に立てることが出来るでしょうし、その行動自体は情報活用の良い思考訓練になります。無駄になるかどうかはそれを取り扱う人の考え方次第ということです。

 

まとめ

 ニュースの有益・害悪は人によるものであり、私はニュースを時々役に立つ娯楽だと思っています、というだけの話でした。