忘れん坊の外部記憶域

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アサーティブコミュニケーションと権威勾配

 互いの人権を尊重し、相手の意見を傾聴して、それを必ずしも全て呑み込むのではなく、自分の意見も隠さず正直にふさわしい表現で伝える。たとえ互いの意見が異なり衝突したとしても、すぐに折れて相手に従ったり自分の意見を強引に押し通したりせず、手間と労力を掛けて意見を譲り、譲られ、互いの納得がいく結論を導く。

 そのような姿勢をアサーション、そのようなコミュニケーションをアサーティブコミュニケーションと言います。Assertionは主張という意味の英語ですが、この場合のアサーションは心理学用語であり、もう少し幅の広い意味合いを持ちます。

 

 自らの意見を押し通すために強引で暴力的な表現を用いて相手を倒そうとするような姿勢は攻撃的自己表現と呼ばれますが、それは相手の人権を軽んじています。

 反対に自らの意見を抑えて押し殺し、相手に配慮してその意見を全て受け入れるような姿勢は非主張的自己表現と呼ばれますが、これは自身の人権を軽んじています。

 そのいずれでもなく、互いの人権を尊重して過剰な権威勾配を避け、適切な自己表現を行うことがアサーションです。アサーティブであることは理想的なコミュニケーションスタイルといえます。

 

アサーティブコミュニケーションと権威勾配

 権威勾配とは人間関係における権威の差を傾きで表したものです。

 権威勾配が急すぎる場合、上位者の意見が強くなりすぎて下位者が意見を出来なくなります。逆に権威勾配が緩すぎると馴れ合いとなり、リーダーシップが発揮されなくなります。権威勾配は急すぎても緩すぎてもいけず、適切にコントロールされなければいけません。

 アサーティブコミュニケーションはこの権威勾配に悩まされていた航空業界や医療業界によって研究されて発展した概念です。

 かつてパイロットの間では機長の権威は絶対的でした。長年の経験と豊富な知識を持っている機長と、相対的に若い副操縦士や航空機関士の間には過剰な権威勾配があり、若者が機長に意見をすることなんて恐れ多くてとても出来ませんでした。医療業界における医師と看護師も同様です。

 その急な権威勾配のせいで、機長が誤った操縦をしても指摘することが出来ずに墜落する事故が起きていました。かといって権威勾配を緩くした場合、今度は緊急事態に機長がリーダーシップを取ることが出来ず、やはり墜落事故が発生しました。

 権威勾配はある程度必要、しかし急であってはいけない、という教訓をこのような事例から得たことで、上位者は下位者の意見を傾聴し、下位者も上位者へ正直に意見を言える、権威勾配を適切に保ちながらの意見交換を実現したのがアサーティブコミュニケーションです。

 

 これは親子の関係で考えるともっと分かりやすいでしょう。親子の権威勾配が急すぎると子は親を恐れて萎縮してしまいますし、権威勾配が緩すぎると今度はしつけが出来なくなります。親の言うことに従いつつも自分の気持ちや意見もしっかりと子が伝えられて、親もそれを真摯に聞き入れるような、子が健やかに育まれる程度の適切な権威勾配が望ましいものです。

 

伝え方は大事

 アサーションは率直であればいいというものではありません。「社長、何ボケてるんすか、こんな新規事業ダメに決まってるじゃないっすか」なんて平社員に言われたらそりゃあ社長だって素直に聞き入れることなんて出来ません。「何を若造が!」と反発して当然です。

 アサーティブであるために特に必要なのはふさわしい表現を用いることです。相手の人権と人格をしっかりと尊重し、攻撃的、威圧的、また必要以上に自らの卑下するような遜った表現を用いず、伝えるべき意見を適切な言葉で伝える必要があります。

 例えば飲食店でラーメンを注文したのにチャーハンが届いたとして、「俺が注文したのと違うじゃねえか!」と店員を怒鳴り散らすのではなく、かといって黙って諦めるのでもなく、「店員さん、これは注文したものと違うようです。すみませんが伝票を確認して正しいものをお願いします」というように礼儀正しく自己表現するのがアサーティブな態度です。

 

相手がアサーティブでない場合~アサーティブも万能ではない

 アサーティブであることが理想だという話をしてきましたが、課題になるのが相手方です。コミュニケーションとは双方向性のものであり、必ず相手が存在します。

 相手がアサーティブでない場合、実のところアサーティブコミュニケーションは成り立たないことが多いです。意見を譲り譲られて互いに納得がいく落としどころを見つけるのがアサーションですが、攻撃的自己表現の人は意見を譲らず、非主張的自己表現の人は意見を譲り過ぎてしまうため、どうしても互いに納得することが難しくなります。

 

 残念ではありますが、相手をアサーションに変容させることは困難です。これは個人の意識の問題であり、安易に人が干渉していい領域ではありません。よってそのような人とのコミュニケーションは諦めたり、そのようなコミュニティからは抜け出すのが現実的な対処法かと考えます。不寛容に対して寛容を提供するのは限度があるのです。

 厚生労働省による調査結果で「人間関係」が職場のストレス要因の1位であることからも分かるように、コミュニケーションに掛かる心理的コストというのは極めて大きいものです。アサーティブでない相手にアサーティブであることは正直なところ一方的かつ過剰なコストの支出になりかねません。

 もちろん所属するコミュニティが大切であったり相手が大切な人であればコミュニケーションコストを払う価値があるでしょう。当然ながら必ずしも逃避が正解というわけではありません。

 しかし一方的にコミュニケーションコストを支払わなければいけない関係性というのは一度見直したほうが精神衛生上良いと、そう考えます。