忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ともあれ無駄な会議は滅ぶべきであると考える次第である

 無駄な会議が嫌いです。以上。occurrens delendam(会議滅ぶべし)

 

 ・・・いや、さすがに短すぎますし、適当なラテン語で大カトーの真似をしても仕方がないので、会議について思うことと無駄の多い会議が嫌いなことをもう少し具体的に書きます。

 今回は珍しく過激な表現を多用していきます。たまには攻撃的な表現を用いてみたいのです。

 もちろん特定の個人を攻撃したいわけではありません。無駄な会議の場で行われる個々人の悪い行動は”無駄な会議という存在”が人の無意識を操っているせいなのです。人ではなく無駄な会議が全て悪いのです。人が会議を悪くするのではなく、無駄な会議が人を悪くするのです。よって無駄な会議は滅ぼさなければなりません。

 

そもそも会議とは

 会議と一言にいってもその実態は多種多様です。様々な目的を持ったあれこれが会議と呼ばれています。

会議の種類は何種類?効率良く進めるための注意点やアイテムも | オフィスのギモン オフィスやオフィス家具の情報サイト

意外と知らない?会議の種類 | 働き方改革ラボ

 しかしながら言葉の本義、辞書通りの意味で言えば会議とは意思決定の場です。

[会議]

 関係者が集まって相談をし、物事を決定すること。また、その集まり。

 会議の好き嫌いはよく話題になりますが、そもそもなんでもかんでも会議という名前で一緒くたにするから様々な意見が出てきて訳が分からなくなるのです。情報共有や教育、調整のために集まるのは会議ではなく会合・ミーティングです。今回は意思決定を伴う集まりのみを会議として話を進めます

 ちなみに自社内での情報共有の会合が一番嫌いです。別に集まらなくてもいいじゃーん。ミーティング用に御大層な資料を作ってる暇があったらチャットやメールでさっと関係者に流せばいいじゃーん。

 ブレストやワイガヤのような会合は、まあほどほどであれば。というか目的を見失っていなければ。やること自体が目的と化しているミーティングは無駄なのでイヤ。

 

遅刻する奴は締め出してしまえ!

 私が主催する会議では時間になったら全員集まっていなくても始めますし、ドアも閉めます。出来れば会議室の鍵をかけてしまいたいとすら思っています。

 何故ならば会議の開始時間は直前に決まるものではなく、参加者の予定や都合を勘案して事前に調整・通達しているからです。

 急な電話で遅刻するといったこともあり得るため情状酌量の余地としてカギはかけませんが、遅刻するのに一報を入れなかったり特に大した理由も無く遅刻してくる人は論外です。それは自分の時間すら管理できないことを周囲に喧伝しているようなものであり、そんな程度の自己管理能力の人が会議の場で価値ある発言をできるとは到底期待できませんので、参加していただかなくて結構です。発言する度に時間が無駄になります。

 仕事に区切りが付かなかったなどという言い訳をぬかす輩はさらに話になりません。そうならないよう時間管理すべきですし、区切りが付かなかろうと手を止めて時間通り出席すべきです。たとえ数分程度仕事を進められたとしても、その間待たされている人数分の時間を損失しているのだという損得勘定が理解できない程度の脳だということで、その程度の算数すら出来ない人はやはり会議には不要です。

 遅刻して人を待たせるということは他者の時間を故無く奪っていることと同義であり、他者を尊重していない証拠です。そんな無礼者とは協業なんて出来ません。

 プライベートならまあ許す、友人なら寛容にもなろう、ただ仕事ではしっかりせい。

 

発言しない奴は追い出せ!

 会議は意思決定の場であり、そこに出席する人は意思決定に必要な知見や権限が必須です。議題に対してそういったものが無い人は招集すべきではありませんし、招集されても断るべきです。そのほうが互いに時間を有効に使えて幸せになれます。手当たり次第に人を集めるような主催者はただの害悪です

 そして招集された人は必ず会議において発言をしなければいけません。黙って座っているだけだったら案山子でも置いておいたほうが部屋の酸素を消費しない分まだマシです。

 ただ、価値のある発言が出来ない人もいるでしょう。それがボンクラであることが理由であれば会議の場から追い出すことを推奨しますが、知見を養わせるために若手を会議に出席させるような場合もあります。そういった人に価値ある発言を求めるのはさすがに酷です。

 そのようにまだ能力不足であることが分かっている場合は発言しないほうが良いです。無駄な発言は会議時間を延ばし議論を惑わせ余計な時間を消費するだけですので、静かに学び、次回の会議に生かしてください。

 

事前に資料を配れ!

 会議室に人々が参集した後に会議用の資料を配布して、その資料の朗読会を始めるような主催者が世には存在します。もはや言葉では表現できない次元の莫迦者です。数分聞いた程度で出てくる意見というのは数分で思い付いた程度の思い付きです。そんな思い付きのアイデアを集めて何を決定しようというのでしょう?

 しっかりとした骨太の議論を行うためには前提情報を事前に共有し、それぞれの人に検討期間を与える必要があります。事前に資料を回覧しておくのは主催者に必須の下拵えというものです。

 

時間になったら終わりにしろ!

 だらだらと終わらない長時間の会議は無駄の極みです。会議には生産性が一切ありません。どれだけ最高の会議を行えたとしてもそれを実行して初めて付加価値が産まれるのであり、会議そのものは価値を産まないのです。

 よって会議は短ければ短いほど良いです。理想は0秒です。その理想に近づけるため、必ず時間を区切って会議を行わなければいけません。そしてたとえ議論が煮詰まろうと意思決定を終えるべきです。そうすれば時間内になんとしてでも意見を述べようと全体の発言数が増えますし、その状況下ですら発言しないような意思も知見も無い人はやはり会議には不要だったということの証左となります。次回以降呼ぶ必要は無いでしょう。

 

決めない奴からは権限を取り上げろ!

 会議は意思決定の場であるゆえ、必ず意思決定に関する権限を持った人が居ます。その権限を持った人の仕事は当然ながら”意思決定を行うこと”であり、決断できないということは仕事をサボっているのと同義です。

 確かに物事を決断するというのはとても大変なことです。しかし、だからこそ権限とそれに見合った権威・給料をもらっているのですから、やるべきことをやってもらわないといけません。渡された権限を効果的かつ全力で行使しない人は給料泥棒の誹りを受けても仕方がないのです。意思決定が行われない会議こそが究極の無駄なのです。

 

最後に

 無駄な会議は嫌いです。だからこそ出来る限り開催回数を少なく、短時間で意味のある無駄にならない会議をするように心がけています。議論中にユーモアを振りまくことはしていますし笑いを取りに行くことは躊躇しない質ではありますが、会議そのものに対しては超過激派なのです。やりたくないが、やらざるを得ないなら徹底的に!

 

 

余談

 会議のことを考えたり会議について語るときはどうにも口が悪くなってしまいます。

 ・・・はっ、これも無駄な会議が悪いのでは!?(責任転嫁)

 まあ、先日、主催部署がサボって誰も会議に来ないという斬新なことが起きて大変に時間を損失したので、その恨みつらみです。「誰もご出席されなかったのはこちらに権限を委譲していただいたものと認識いたしましたので、これこれこのようにこちらで決定しましたのでもう次に進めます」とぶん投げましたが。ええぃ、来なかったほうが悪い!