忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ホワイトボードを囲む姿は心を落ち着かせる

 ある日、ふと職場のミーティングスペースを覗いてみると、おっさん3人がホワイトボードに絵を書き殴って喧々諤々の議論を行っていました。詳細は分からないですが何らかのトラブルがあってその発生原因を検討し合ってでもいたのでしょう。

 その光景を見て、なんだか心が安らいだといいますか、とても気分が良くなったのです。

 おっさん3人が騒々しく意見を投げ合いながらホワイトボードを囲んでいる様子を見て心が落ち着くというのはよくよく考えなくても不思議な話なのですが、案外同じ感覚を抱く人もいるのではないかと思います。

 今回は一部の人にだけ少し同意をいただけるかもしれない感覚のお話です。大した話では無いです。

 

ホワイトボードを愛する人々

 ホワイトボードとは何か、は別に語るまでもないですね。会議室や仕事場、飲食店や学校などに設置されてるあの白くて薄くて四角いヤツです。

 ある属性の人間はこのホワイトボードをこよなく愛しています。ホワイトボードのことを愛している人は様々な業界に存在していますが、私のような技術職・エンジニアは特にホワイトボードを愛する人の比率が高いです。

 何故ホワイトボードを愛しているか、それはホワイトボードの用途が異なるためです。ホワイトボードには2種類の使い方があり、ある使い方をする人はホワイトボードをとても大切なものだと思っています。

 

ホワイトボードの用途

 ホワイトボードの基本的な利用方法は記録と伝達です。会議の議事録、顧客へのおすすめ料理の伝達、買い物メモ、授業の板書、こういった情報は全て必要なことを他者に伝達するための静的な情報です。静的な情報を書き出すためにホワイトボードを使う人からすればホワイトボードが好きという感覚はあまり無いと思います。

 それに対してホワイトボードを愛する人はホワイトボードをワーキングメモリの見える化・他者との共有として用いています。リアルタイムで更新される動的な情報を書き出すスペースとしてホワイトボードを使う人はホワイトボードのことが大好きなのです。

 冒頭で紹介した状況はまさしく後者の用途で用いています。決まった情報や確定した事実を羅列するのではなく、今自分の頭の中で考えている思考を置いておく場所、そしてそれを他者と共有するための出力先こそがホワイトボードです。記録として残しておくことが目的ではなく、今まさに更新されるべき生きた情報がそこには詰まっています。よって速度重視で書き殴るように書くのが礼儀です。もちろん相手に伝わる範囲で。

 これは別にホワイトボードである必要はありませんが、サイズ感やメンテナンス性を考慮するとホワイトボードは実に手頃で便利なのです。

 エンジニアは特にホワイトボードが大好きです。私が技術的な打合せや議論をする際は必ずホワイトボードがある所に移動してやりますし、私の後輩は話し掛けるとすぐに引き出しから自前の電子ホワイトボードを取り出すような有様です。もはやホワイトボードは必需品と言えます。

 

ホワイトボードの思い出

 ある種、ホワイトボードを囲む人々の姿は工学屋の私にとっての原風景の一つです。大学時代に私が所属していた研究室では中央の会議スペースに大きなホワイトボードがあり、学生は皆その前で食事をし、勉強し、話し合い、麻雀をしたものでした。ちょっと思いついたことがあればそれを共有するためにホワイトボードへ書き込み、誰かが書き始めると皆がぞろぞろと寄って行ってああでもないこうでもないと意見を出し合うのです。ホワイトボードを囲んで皆で議論を交わすのが娯楽の一種でした。

 

 ホワイトボードは時に言語の壁すら飛び越えます。5年くらい前の話です。中国の企業に勤めている設計屋が弊社に出張してきて技術的な打ち合わせを行いました。互いに言葉が分からないので通訳を隣に置いてのコミュニケーションです。

 ところが途中で向こうの設計屋が説明に納得いかなかったらしく、延々と質問を詰めてきました。確か異種金属接合部の強度に関してだったと記憶しています。(金属はそれぞれ温度によって膨張する量が異なるので、別々の金属をくっつけているところは高温になる場合注意が必要です)

 計算上は問題が無い、試験的にもこういうテストを行っていて問題が無い、と言ってもなかなか納得してもらえません。業を煮やした私は立ち上がり、熱影響を受けた場合に変形しても問題ないことを、中国人でもこれくらいなら伝わるだろうと「鉄」やら「熱」やら「割」やら単漢字だけを使った構造図をホワイトボードに書いて説明しました。

 意を得たりとばかりに立ち上がる中国人エンジニア。ホワイトボードの前まで駆け寄ってきて、もしこのような変形が起きた場合はどうなるのだという絵をさらさらっと書き殴る。こちらも負けじとそうなった場合はどうなるかという絵を書き足す。通訳なんて放置し、交互にホワイトボードを埋めていく。互いの言語はまったく分からないのですが、あの時の私と彼は間違いなく意思疎通ができていました。

 最終的には向こうのマネージャーが「お前ら長えよ、いい加減にしろ。後で書類にして送ってくれ」というようなことを言ったのでお開きになったのですが、技術屋としてはこのまま延々と議論していても良かったので少し残念です。あの、「お前が何を言っているかはまったく分からないが、お前の言いたいことは分かる」という感覚はなかなかに面白かったのに・・・

 

まとめ

 動的な情報、生きたリアルタイムの情報を取り扱うことには意味があります。電子化の進む昨今においてもささっと書ける手書きのメモやノートが使われているのは、生きた情報を扱いやすいという利点があるからです。そしてホワイトボードは生きた情報を他者と共有する道具としては最適なもののひとつであり、だからこそホワイトボードを愛する人がこの世には無数に存在しています。そんな人間の、ちょっとした思い出話でした。