忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

憲法の改正に関する私見

 5月3日は憲法記念日ということで、各所で憲法改正に関する議論が活発に行われていました。個人的には別に憲法記念日以外に限らずいつでも喧々諤々の議論をすべきだと思ってはいますが、とはいえこの祝日が議論のきっかけとなる良い機会であることは間違いありません。

 今回は憲法に関する個人的な見解を述べてみたいと思います。時事的な話や昨今の改正案に対する話よりも憲法という枠組みについての見解です。

 

リジッド(硬性)であるべきか、フレキシブル(軟性)であるべきか

 憲法は憲法学という学問分野があるほどに難解かつ専門性が高いものであり、素人にはなかなか語りにくいものではあります。しかし憲法は国家の骨子です。特に民主主義国家であれば主権者たる国民の誰もがある程度は理解を示し、議論に参加できる程度の知見は必要だと考えます。

 憲法は改正の難易度に応じて硬性憲法軟性憲法に分類されます。改正の手続きが難しく変更しがたいものが硬性憲法、その逆に改正が容易なものを軟性憲法と言います。日本国憲法は硬性憲法に分類される場合がほとんどです。厳密な区分方法は議論が存在するものですが、概ねこのくらいの簡単な理解で良いでしょう。

 憲法については過去にも一言述べたことがありますが、私としては硬性憲法よりは軟性憲法のほうが良いと考えています。

 よってどちらかというと改憲自体には賛成側です。憲法は一種のハウスルールであり、堅固に保持するよりはその理念が通しやすくなるよう細部を調整したほうが良いと考えるためです。文章や条文自体の固持のために現実を無視するような振る舞いは中世キリスト教やソビエト連邦における悲劇を繰り返すようなことになりかねません。

「地球は太陽を中心として回っている」

「それは聖書に記載されていないので誤りだ」

「科学的にこのような研究結果となった」

「それはマルクス主義でも党史でも述べられていないので誤りだ」

 目指すべきは理念と目的の達成であり、文章の固持ではありません。「我らと我らの子孫のために諸国民との協和による成果と自由のもたらす恵沢を確保し平和を維持する」というような憲法理念さえ変わらなければ、むしろ細部は理念を達成できるように現実に沿って修正すべきです。ルールを聖典化するのではなく、理念の達成を重視すべきだと考えます。

 つまり、理念を変えるのではなく手段を変えるべきです。理念を遂行する、例えば戦争を回避することを最上とし、それを実現するためであればあれこれ手を替え品を替えることをしたいため、良い方法があればその手を取れるように改正すべきだと考えています。

 文章を固持するための拡大解釈もあまり好みではありません。日本は現代先進国の一員として法治国家であるべきだと考えており、憲法とそれに基づく法律によって物事を決定しなければなりません。拡大解釈はやりようによってはルール自体をないがしろにしかねないものであり、ちゃんと改正して明文化すべきだと考えます。はっきり言えば政治権力の潔白さをそこまで信用しているわけでもないため、むしろ口頭で決めるような拡大解釈の方が後々の禍根になりそうで怖いです。社会人として変更点は明文化してエビデンスを残したい派です。

 

賛成か反対かの議論はあまり意味が無い

 メディアは議論を単純化して分かりやすくするために賛成か反対かの二項で統計を取りたがります。しかしこれは正直なところあまり意味がありません。改正そのものへの賛否なのか、それとも改正案に対する賛否なのかが明確に区分されていないためです。

 例えば私は改正には賛成ですが、現与党の改憲案には不足が多いと思っているので反対です。与党案を通すのであれば同時に法律の草案も提示し、国権の発動をどのように制限するのかを提示してもらいたいと思っています。どのような状況下でどのような法的根拠に基づきどうやって発動するか、それに対する抵抗権はどこまで認めるか、という詳細な枠組みが議論されてからで良いでしょう。

 この場合、私は総論賛成各論反対という中途半端な立ち位置になるため、賛成反対の二項では立場を表明することができません。

 

技術屋としての見解

 技術屋はルールを制定する側に立つこともあります。例えば私は製造プロセス自体の設計にも携わることがあり、どうやってモノづくりをするかの具体的なルールを決めています。この検査はこの測定値を下回ったらNG、この部品はこの部品の後に組み付けること、この機械からこのエラーが出たらどう処置すること、というようなルールです。

 この仕事の目的は顧客の要求を満たした良い製品を市場に出すことであり、ルールを一字一句ずっと変えないことではありません。必要に迫られたり今より良くなる方法があるのであれば顧客の了承を得た後にルールを変更することもままあります。

 それこそ例えばある材料が生産終了して入手できなくなったとして、でもこの材料を使うのがルールだからとルールを固持しようとしてもどうにもならなくなってしまいます。その先にあるのは材料名の偽装やサイレントチェンジといった品質不正のみです。理念や目的のほうがルールよりも上であり、理念や目的を達成するためにはルールのほうを変えるべきだと技術屋としては愚考します。