忘れん坊の外部記憶域

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恥を忍ぶ若手は見込みがあると思っている~プロフェッショナルの入り口

 基本的に温厚であるつもりの私ではありますが、仕事中は技術屋として辛辣な表現を用いることもあります。そういう人を温厚とは言えないような気もしますが、厳しいのは仕事中だけですので見逃してください。

 今回はそんな技術屋の辛辣な部分を語りましょう。

 

技術屋のプロ意識

 技術屋にとっての仕事の道具は知識です。新人や若手はさておき、ある程度経験を積んだ技術屋にとって「知らない」「知識が無い」「分からない」ということはすなわち仕事が出来ないということです。そのような言葉が出るということは技術を学び磨いていない証拠であり、包丁を研がない料理人のようなもので、そんな人に任せる仕事なんてありません。

 技術を知らない技術屋は技術で飯を食っていることに対するプロ意識が不足していることを恥じ入ってもらいたいですし、ストレートな表現で言えば技術を知らない技術屋は職場やチームに不要です。全くもって温厚だと自称する人間の発言ではありませんが、残念ながらそれが現実です。

 度々ですがこれはある程度経験を積んだ技術屋限定の話ですよ。新人や若手は知らなくて当然ですし、これから学べばいいです。

 

 技術者集団に限らず、知識を売り物として扱っている専門家の集団に属している人々は概ね共通して『知らないことは恥ずかしい』という感覚を強く持っています。世間一般や年齢を問わずある程度の人が持っている感覚だとは思いますが、それがより強く先鋭化されているのです。それが高じて『知らないことは許されない』『知らないならば要らない』とまで先鋭化しているような人や職場も多々あるかと思います。私もすっかりそんな空気に染まってしまいました。まあ私は父の教えもあって慣れ親しんだ空気ではありますが。

 

恥を知り、そして忍べるか

 専門家はその専門分野について知っていることが当たり前であり、知らないでは許されず、知らないことを恥じることはプロ意識として不可欠です。

 厳しい話ですが、『知らないことは恥ずかしい』という感覚を持っていない技術屋や専門家はモノの役に立ちません。そんな人はボールを蹴れないサッカー選手や楽器を弾けないミュージシャンのようなものであり、技術屋や専門家を名乗る資格があるとはとても言えないでしょう。知らないことが無いよう必死に学ぶのが技術屋や専門家として正しい姿勢であり、それこそがプロフェッショナルの入り口というものです。

 とはいえ新人や若手はまだプロではありませんので知らないことを恥じる必要はまだありません。ただ、『知らないことは恥ずかしい』という考えだけは早めに取り入れておいたほうが良いかと思います。それはいずれ求められるものであり、否が応でも目指すべきところです。少なくともプロフェッショナルになりたいのであれば。

 

 そのような考えから、少し恥ずかしそうに質問をしてくる若手は将来プロフェッショナルになる見込みがあると私は勝手に思っています。

 ”少し恥ずかしそうに”というのが重要なポイントです。それは『知らないことは恥ずかしい』という感覚をすでに身に付けていることを示唆するものであり、そしてその上で恥を忍んででも知らないことを減らそうと努力していることの現れです。恥を知っており、プライドを脇に置いてでも進もうという高潔な向上心を持っていると言えます。

 まあ、これが絶対的な基準や分水嶺と言うわけではないです。まだ若いうちは知らないことは知らないと開き直っていても問題ありませんし、あっけらかんと質問してもいいです。最初から恥ずかしいと思っている人は少数派ですし、プロ意識ではなくただプライドが高いから恥ずかしがっているだけという場合もあります。若手のうちにプロになれるかが決まるわけでもなく、後々に立派なプロ意識を身に付ける大器晩成タイプだっています。ただ個人的な観察範囲での傾向で、”少し恥ずかしそうに”質問してくる若手は見込みがあるし伸びるなと思っているだけの話です。

 

 

余談

 恥を忍べるかどうかが評価されるのは若手限定です。歳を取ってから恥ずかしそうに質問してくるような技術屋は残念ながら恥知らず扱いされかねません。若手は知識を積もうとする姿勢を問われますが、ベテランは積んできた知識を問われるものです。技術屋や専門家の世界は歳を取るごとに厳しくなるのです。「知らない?そっか、じゃあ君はいらない」と言われても仕方がないでしょう。

 歳を取ってからも技術屋や専門家でいたいのであれば若いうちに研鑽を積んでおいたほうがいいですね。