争い事や戦争を好む人は恐らくほとんどいないと思います。もちろんそれは多少の願望を含んだ考えではありますが、誰だって痛いのは嫌いですし、怪我するのはイヤですし、殺すのも殺されるのも御免でしょう。
でも、じゃあなんで世界には争いや戦争があるのでしょう?誰だって争いや戦争は嫌いなはずなのに。
避けるのではなく、無くすことを考える
過去の記事でも述べたように、私はロバート・オーマン教授の戦争に関する捉え方に同意しています。争いや戦争を単に不合理で望ましくないものとして避けていては問題に対処することができません。
嫌うことと忌むことは少し別だと考えます。私は争いや戦争を嫌っていますが忌むことはしません。
例えば健康。「不健康は嫌だ嫌だ」と言うだけでは健康を維持することはできません。健康でありたいならば、不健康を忌み避けるのではなく不健康になる要因を潰していく努力が不可欠でしょう。
それと同じように、争いや戦争が嫌いだからこそ、避けるのではなく積極的に理解して避け得る方法を知るべきだと思っています。
原因に関する諸説
争いや戦争が起きる原因について少し考えてみましょう。
人類の歴史を見れば無数の争いによる流血によって描かれていると言っても過言ではありません。しかしそれは同時に、戦争を望まない人々による無数の戦争回避策が練られてきたことも意味します。
それらの多くが失敗していることは現実ですし、どのような学問においても戦争原因とその根絶方法の絶対的な答えが未だ見出せていないこともまた事実ではありますが、なぜそれらが失敗したかを知ることも理解には必要です。
争いや戦争の原因はトゥキュディデス的に「恐怖」「名誉」「利益」で説明するのが無難かもしれません。もしくは資源や土地、民族や宗教といったファクターによって説明することも一般的でしょう。しかし今回はもう少し細かい大衆的見解について考えてみます。
例えば、王様や権力者が戦争を始めるのだから彼らが悪いんだという考えがあります。この理屈は確かに独裁や専制政治であれば成り立ちますが、しかしこれだけでは直接民主制の古代ギリシアや王政打倒後の共和制ローマ、フランス革命後のフランス第一共和政や現代の民主主義国家が戦争をしてきたことが説明できなくなります。
もしくは、国家があるから戦争が起きるのであってボーダーを無くせばいいという考えもあります。しかしこれだけではスペイン内戦やユーゴスラビア紛争、対テロ戦争のような国家間同士ではない紛争や非対称戦争を無くすことには資さないでしょう。
男が戦争を起こすのだから男が悪いという意見もあるかもしれません。しかしながらこれもヴィクトリア女王やエカチェリーナ二世のような様々な例があるため、必ずしも真とは言い難いものです。
そもそも武器や軍事力を持つから戦争が起きるという意見もあります。しかしこれも非武装中立であったルクセンブルクが第一次・第二次世界大戦のどちらでも他国の軍隊に侵入されていますし、モルディブのように他所から傭兵を雇ってきて内乱が起きるような事例があるため絶対的な戦争回避策とはなり得ません。
世界中から武器を無くせばいいという意見もあるかもしれませんが、一揆や暴動のように武器を持たない民衆による武力行使が実施されることもあり、武器が無ければ争いが起こらないということもありません。
極論になれば、争い事を好む人が悪いという意見に行きつく人がいるかもしれません。人々の心の中を検閲して争いを生むような心根を持つ人を排除すればいいじゃないか、心の綺麗な人だけの世界を作るべきだ、となりますと、それはナチスを代表とした戦間期西ヨーロッパの優生学思想に行きつきかねない危険な考え方だと思われます。それにこの考え方ではやはり国民国家の戦争を説明することができないでしょう。
結言
つまるところ、「〇〇〇するから戦争になる」、もしくは「〇〇〇すれば戦争は無くなる」という言説は、一部では正しい場合がありますが、厳密に言えば不正確です。単一手段によって争いや戦争を避けられるのであればすでに人類は戦争を根治できています。
単一手段の過信は「毎日玉ねぎを食べていれば病気にならない」と言っているようなもので、血液はサラサラになりますし血糖値も下がりますので糖尿病や動脈硬化といった病気には効果があるでしょうが、全ての病気に罹らなくなるわけではありません。
「〇〇〇すれば戦争は無くなる」とだけ述べるような言説は、少し意地の悪い言い方をしますが、その単一手段に全額ベットしろと言っているようなものであり、無数の人命をチップにしたギャンブルに他なりません。
医者が診察結果を見て治療方法を決めるように、必要なのはその時々の情勢に合わせて適切な方法を選択し複合的に手を打つことです。絶対的な根絶方法が今はまだないとはいえ、特に国家のような大きな規模のものでは失敗は許されません。そのため、考え付く限り、そして出来る限りの手を全て打つのが基本です。