「どうにもこの世は息苦しい、呼吸が上手く出来ねぇんだ」
そんな風に思ってる奴もいるだろう。そいつはまったくもって誤解じゃねえ。人の世なんてのは実際のところ、そんなもんだ。
足を伸ばして土を踏み、大地に根差す俺たちにゃあ、ちいっとばかし気付きにくいことかもしれねえが、なに、浮世という言葉を見りゃ分かる。人の世ってのはプカプカと、揺蕩う水面とおんなじだ。土の上に立ってるくせに、ちっとばかり集まるだけで、なんとも摩訶不思議なことに、そこはもう、水の中だ。
だから1人で立ってる時と同じように呼吸をしてりゃあ、そりゃ息苦しいってなもんだ。息を吸おうと口を開けば、入ってくるのは水ばかり。溺れちまうのも仕方がねえ。息苦しいのも、仕方がねえ。
もちろん突然変異な奴らはいる。肺も持ってりゃエラも持ってるような、なんとも大層な御仁だ。浅瀬も深海も何のその、どこでも泳げる器用な奴らだ。そんな奴らは簡単に言うのさ、なに遠慮はいらねえ、好きに泳げばいいだろう、生きたいように、やりたいように泳げばいいじゃないか、なんてな。
ところが息苦しい奴らはそうはいかねえ。どう泳ぐかなんて御立派な話の前に、そもそも呼吸ができてねえんだ。やりてえことができてねえなんて先の話はどうでもよくて、そこに在るだけでしんどいっていう話だ。
足掻けど足掻けど足が着かず、口を開けば水を飲んじまって声すら出ねえ。酸素が足りねえ奴らからすりゃあ、まずはとにかく息がしてぇ。そいつが息苦しい奴らの喫緊の求めってなもんだろう。
何はともあれ息苦しけりゃ、酸素を吸わなきゃ話にならん。エラを持ってる変人共に合わせる必要なんかありゃしない。奴らは深く潜っても息ができるが、こちとら普通の人間様、肺に酸素を入れなきゃならん。目指すは一路、水面だけ。
しかし残念困ったことに、水面に近づけば近づくほど、そこは人の渋滞だ。どいつもこいつも酸素を求めて、海面付近で漂ってやがる。なんともはた迷惑な話だが、何もしないでプカプカと、上を向いて寝そべってる奴らが水面には山ほど浮かんでるのさ。
そいつらは別に人様の呼吸を邪魔したいわけじゃあない、ただ泳ぐ気も無く浮かんでいるだけさ。人が多くて気後れするかもしれねえが、気にするこたあねえ、押し退けちまえ。ちょいとごめんよ、お兄さん。ちょっと一息入れるから、そこを空けておくんなまし、ってな具合にな。
なに遠慮はいらねぇ、何もせずに浮かんでる奴らだ、そっと押せばスッと横に逸れるもんだ。あまりにそこが渋滞してりゃあ、両手でぐいっと押し退けてやれ。
忘れちゃいけねえことがある。息苦しいのは仕方がねぇが、泳ぎを止めちゃいけねえよ。
体を丸めて縮こまり、耳を塞いで目を閉じて、静かにしてりゃあどうなるか。当然そりゃあ沈んでく。深く深く沈んでく。深く沈めば沈むだけ、周りはどんどん暗くなる。そうなっちまったら最後、どっちに進みゃあいいかすら分からなくなっちまう。水面の明かりが見えるうちに、なるたけ急いで向かわにゃならん。海の底に沈んでいても、我慢に我慢を重ねても、息苦しさは変わらんのだから。
もちろん泳ぐってなあ大変なことだ、とにかく今は息苦しい。ガタイがデカけりゃデカいだけ、水の抵抗もひとしおだ。スラリと長い手足を持って、流線形の形をしてりゃあいいんだが、贅沢言っても仕方がねえ。持ってねえもんは仕方がねえ。
それでも水面に向かうしか、生き苦しさから逃れる術はねえ。嫌になるほど大変なんだが、それこそが浮世ってなもんだ。