同じ事象に対して楽観と悲観やポジティブとネガティブの差が出るのは、セロトニントラスポーター遺伝子の型、つまり遺伝的な要素が強いことが研究によって示されています。
神経伝達物質の働きがどうこうという生化学の話は専門家にお任せするとして、日常的な感覚に噛み砕いて言えば、悲観と楽観を分かつものは『恐怖心・不安感』に対する感度の差です。もっと単純化してしまえば『危機感』の大小と言えるかもしれません。
優劣の差ではない
現在日本の製造業で大きなウェイトを占める自動車産業の話題で例えます。今後の自動車はICE(内燃エンジン車)からEV(電気自動車)に変遷していく傾向が濃厚であり、既存メーカーの縮小や業界再編が起こることは間違いないでしょう。
そのような状況を見て、
「日本の自動車メーカーがICEからEVに切り替えられるかは不透明だ、自動車産業が今後斜陽になったら日本の製造業はもう駄目なんじゃないか」
と考えるか、
「自動車産業の優秀なエンジニアや品質管理屋が市場に溢れるかもしれないな、中途採用を強化してもっとうちの商売規模を拡大しよう」
と考えるかは危機感の大小、恐怖心や不安感の感度差が大きく影響しています。
これはどちらが良い・悪いという話ではありません。この種の話題は楽観と悲観を良し悪しで分類しがちなものですが、楽観的視座が無ければ物事を積極的に進めることができなくなりますし、悲観的視座が無ければ危険な時に立ち止まることができなくなります。これらはどちらも必要な両輪です。
優劣で捉えることの危険
気を付けなければいけないのは、ただの感度の差であるそれを善悪や優劣で捉えてしまうことです。
特に多い例としては、
「このままでは問題がどんどん大きくなる、すぐに手を打たなければいけない」
という危機感を持っている人が、
「こんな危機が迫っているのにボンヤリと何も感じずに生きている奴らがいる。そいつらは愚か者だ」
と考えてしまうことです。
これは頭の良い優秀なインテリが陥りやすい思考だと考えています。
質の高い教育を受けてきて優れた知性を持つ優秀なインテリは、教養という名の巨人の肩の上に立ち他の人よりも幅広い情報を得ることができるため、様々な問題に目が留まりやすくなります。よって社会問題は必然、インテリ層からの提起が多いものです。
危機感を覚えている当人からすればその問題に対する焦燥感や不安は明白なものです。だからこそ、これを問題と思わないなんてありえない、きっと無知で愚かなゆえに問題に気付いていないに違いない、と誤解するのも致し方ないのかもしれません。
しかし、問題に気付くことと、その問題に危機感をどの程度覚えるかは別の話です。そこを混同してしまうと同じ問題を見ていてもそれほど危機感を覚えない人がいるという現実が目に入らなくなります。
社会問題を提起するインテリは確かに優れた知性を持っており、だからこそ危機感の感度差は知性の差によるものだと誤解しがちです。しかし実際は同じ危機感や焦燥感を感じない人が無知とは限らず、それを危機的な事態と悲観するか好機だと楽観するかは神経伝達物質の遺伝的な差でしかありません。
問題解決を停滞させる危険な誤解
この誤解に陥ると問題解決への進みが極めて困難になります。危機感に迫られている誤解したインテリからすれば、
「無知ゆえに危機感を覚えていない愚かな者達に啓蒙しなければならない」
と考えることになります。
しかしそれを喫緊の危機だと感じていない人からすれば、
「そこまで騒ぐことではないよ、時間を掛けて解決すればいいじゃないか」
となればまだ良い方で、
「愚か者とはなんだ、君たちこそ平穏を破壊しようとする愚か者じゃないか」
と反発を受けてしまいかねません。
確かに問題を周知するためには啓蒙活動が必要です。しかしある程度周知された問題に対して危機感を抱いていない人に、危機感が無いのは愚か者だからだ、と叩きつけるような啓蒙をしていては当然反感を買うわけです。反感を持った人々は抵抗勢力となり、問題の解決を阻む大きな障壁となってしまいます。
この段階では、問題を皆が認識していないことではなく、問題に対する危機感の感度差こそが解消すべき課題です。
運動家に求めること
残念ながら一部の社会問題では「アップデートできないのは愚かだからだ」「我々の意見に賛同しないのは無知だからだ」というような誤解が蔓延ってしまっています。しかし、運動家の方々の尽力によって、その社会問題はもう充分周知されているのです。
周知されている社会問題がなぜ解消に向かっていないかというと、「無知ゆえに危機感を覚えていない愚かな者達に啓蒙しなければならない」という感覚のままでいつまでも押し続けているからです。だから前述したような理由で抵抗勢力が発生してしまいムーブメントが停滞します。それはとてもモッタイナイ状態です。
そうではなく、その問題は知っているが同じような危機感を覚えていない状態を解消することこそが問題の周知後に進むべき方針ではないでしょうか。そのためには愚かで無知な敵という誤解を捨て、「私たちは危機感を持っているんだ、早く問題を解決したいんだ、だから一緒に協力してくれないだろうか」ということを相手に伝えるようなコミュニケーションに変更したほうが良いと思います。
問題があることは明白であり、それを解決するためには危機感を持っていない愚かで無知な敵を打ち倒すのではなく、仲間として危機感を共有してもらうことが必要です。
結言
雑な例ではありますが、
「あいつらは馬鹿だからこっちの苦労を分かっちゃいない、俺様だって大変なんだ」
なんて言うような人がいて、誰がそいつに協力しようと思います?という話です。うるせー馬鹿!って反発する人が出るのもやむを得ないじゃないですか。
誰もが大変だ、なんて程度のことは誰もが知っていることであって、こんなことを言っていたってその人の大変さは一ミリだって解消されることはありません。言っていることは正しいかもしれませんが、やっぱり、うるせー馬鹿!ってなりますよ、そりゃあ。
それよりも、
「こういうところが辛いんだけど、なんとか解消する方法は無いものかな」
というような言い方や伝え方であれば、知恵を絞ってくれる人も、一緒に協力してくれる人もきっと出てくることでしょう。本当に問題の解決を目指したいのであれば、そういう方向にすべきだと思います。