忘れん坊の外部記憶域

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頼まれたら断れない性格の人へ:幸福の総量を増やすことが善

 頼まれたら断れない性格の人がいます。私もそのうちの一人です。相当ぶっ飛んだ内容でない限り、何か頼み事をされたとしても断るという選択肢がそもそも浮かんできません。

 今回はそんな、頼み事を断れない人について考えていきます。

 

断れない理由

 頼み事を断れない人と単純に言ってもその実態は十人十色、様々な理由があるでしょう。

  • 「断ったら相手がイヤな気持ちになるかも・・・」と和を尊ぶ人
  • 「自分の意思を相手に強要するのは苦手だな・・・」と温厚な人
  • 「困っているなら助けてあげたい」と共感性の高い人
  • 「なんだしょうがねえなあ俺様に任せろ!」と兄貴肌・姉御肌の人

他にも様々な類型があるかと思います。

 悪事の片棒を担ぐような手助けはまた別の話として、どのような理由であれ人の頼みを聞いて手助けすることは大抵の場合良いことです。よって人の手助けをすることを咎めたいわけでは決してないのですが、ただ、人の手助けをした結果に満足できるかどうかはとても重要だと思っています。

 

功利主義的視点

 カントの義務論からすれば善行とは何かの目的の為の行為ではありません。よって相手の頼み事を引き受けることで相手に貸しを作るだとか、相手の役に立つことで自己満足を得るといった利得を求めてしまっては、それは善ではなく偽善ということになります。自己の利益を求めず無条件に「善を為すべし」という意思に基づいて動くことこそが善行です。

 という考えを持っている人が頼み事を断れない性格だった場合、遠からず燃え尽きて潰れてしまいます。これは避けたほうが良いです。人は自らの利益に繋がらない行為を続けられるほど頑強な生き物ではありません。嫌々ながらも断れない、辛いけども引き受ける、というような行為は、自身の利得を求めていないという点でカント的善行かもしれませんが、それでメンタルを病んでしまうようなことがあっては本末転倒というものでしょう。

 もしも人の頼み事を断れないのであれば、それを自らの利得に繋げたほうが良いです。善の基準は義務論ではなく功利主義を用いたほうが良いでしょう。功利主義とは行為の善悪は目的の有無ではなく幸福の有無で判断するという考え方です。

 功利主義的視点で言えば、相手に貸しを作るとか、自己満足を得るとか、そういったものを求めることは何ら恥じることではありません。むしろ人は与えた分だけ何かを得るべきであり、積極的にそういった利得を追及していくべきです。如何なる動機で行動しようとも相手が助かるのであれば、それは偽善ではなく善なのですから。

 

 人の頼み事を断れ、なんてことは言いません。私も人の頼み事はまず断りません。ただ、人の手助けをするならば自分も貸しや満足といった利得を得る、人助けはそういった持続可能な状態が望ましいです。一方がひたすら損をして摩耗していくような自己犠牲の関係性は、たとえ純粋なカント的善がそこにあるのだとしても、それは残念ながら幸福には繋がりません。

 

人に頼み事をしよう

 功利主義的視点を持つと他にも良いことがあります。

 一つは人に頼み事をしやすくなるという点です。

 頼まれたら断れない人は大体の場合でギブ&テイクでいうところのギブのほうが過剰になっているでしょう。このギブを功利主義的に『貸し』だと捉えることができれば、人に何かを依頼する時も気軽に頼めるようになります。

 「ギブ&テイクのバランスを取るべきだ」とか「ギブした分テイクを寄越せよ」ということではなく、頼み事を引き受けるというのはギブを与えているのだという解釈とそれに伴う自己肯定感があればいいのです。その認識一つで人に頼み事をする時のハードルは下がることでしょう。

 

 また、人に頼み事をするというのは良いことなのだと考えられるようになります。

 なにせ功利主義的視点からすれば、頼み事をした側は手助けを得られて幸福になり、手助けをした側は貸しや自己満足を得られて幸福になるのですから、頼み事というのは世の中の幸福総量を増やす素晴らしい行為です。何も気後れすることが無いどころか積極的に推奨すべき行為でしょう。

 ただしこれは功利主義的視点を共有できる関係性のみにしか適用できませんので注意が必要です。世の中には人から奪うだけ奪う強欲な人もいます。頼み事をしても無駄に終わるでしょうから、そういう人との関係性の構築は少し気を遣う必要があります。

 

個人的な信条

 私も頼まれたら断れない性格です。頼み事を断らずに引き受ける理由は単純明快で、困っている人を助けるのはそれが嬉しいから、つまり自己満足です。どのような頼み事でも引き受けるのは、それが自分のスキルアップや知見を広げることに繋がると考えているからです。そういった利得があるのですから断る理由なんてありません。

 『何かしら困った時に頼れる人リスト』が職場にあればまずトップランカーに入る自信があります。

 反面、『すぐなんでも頼ってくる奴リスト』が職場にあればやはりトップランカーです。これも自信があります。自信を持っていいのかは疑問ですが。

 ギブ&テイクのバランスなんて考えていません。極論、ギブが100でテイクが1でもいいと思っています。だって功利主義的に考えれば、幸福の総量を増やすのに重要なのはギブ&テイクの比ではなく量なのですから。