忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

話し合いが生じるということは、絶対的な正解が存在しないということ

 家庭において自家用車を買うかどうか。

 ビジネスにおいて新規事業へ進出するかどうか。

 政治においてある法案を通すかどうか。

 世の中では様々な場所で様々な議題での話し合いが行われています。

 この話し合いという行為において一つ重要な点があります。

 それは、話し合いの末の結果に絶対的な正解は存在しない、ということです。この点を留意しておくと話し合いを話し合いとして適切に成り立たせることが可能になります。

 

正解が無いとは

 これは特に複雑な話でもなく、そもそも話し合いが成り立たない場合は2つしかないからです。

 一つは誰もが納得し得る絶対的な正解がある場合。これはもう話し合いの余地はありません。なにせ答えが分かっているようなものですので、いちいち話し合いなどせずにそれを選べばいいだけです。

 もう一つはそれぞれが自身の考えを絶対的な正解だと確信している場合。これも話し合いになり得ません。互いに自らの正しさを押し付け合うことは到底話し合いと呼べる代物では無く、それはただの殴り合いに過ぎません。

 話し合いが生じるのはそういった事柄ではなく、参加者それぞれに異なる言い分があり、それぞれにメリット・デメリットが存在し、どれもが正解かつどれもが不正解の場合です。誰もが同意する絶対的に正しい何かしらの正解が存在せず、どれを選ぶべきか悩んだ末、しかしそれでも何らかの選択が不可欠であるからこそ話し合いによる調整が必要になります。

 

話し合いとは相手の言い分を聞くこと

 話し合いに必要なのは相手の言い分を聞いて理解することです。双方の意見を絶対的な正解だと確信してただ押し付け合っていては結論を調整することが出来ず、話を前に進めることが出来なくなってしまいます。

 つまりは言葉の字面通り、読んで字の如く、ということです。話し合いとはこちらの言い分を押し付けることではなく、話し合いであり、すなわち相手の話を聞かなければならないのです。これは話し合いにおいて絶対に必要なルールです。

 「相手は間違えている、こちらの知っている正解を教えてあげなければならない」というような姿勢を取った時点で話し合いは崩壊します。必ずしも相手の意見を受け入れる必要はありませんが、相手の話を聞き、それを理解することは必須です

 「話し合いましょう」「話し合いが重要だ」と言いつつも人の話を聞かずに自分の意見だけを押し付ける人を時折見かけることがあるとは思いますが、その人は実のところ話し合いをしていないということです。

 

 要するに、0-100では話し合いが成立しないのです。

 小さな例として、例えばある人の趣味を考えてみましょう。家族はその趣味に使う時間やお金を無駄だと思い止めて欲しいと思っていますが、本人は楽し気です。そのような状況で双方が0-100となってしまっては話し合いが成り立ちません。

「そんな趣味は止めてしまえ!」

「うるさい!絶対止めない!」

 これでは調整の余地無く、前向きな議論も無く、家族の崩壊にまで繋がりかねないことでしょう。

 しかし考えてみれば趣味を楽しむことは人として当然の権利ですし、家族の時間を求めることも同様です。どちらも正解であり、どちらの言い分も通ります。ただ、絶対的な正解が存在しない双方の言い分の比率を調整しなければならないことも事実です。このような場合に話し合いが必要となります。

 必要なのは双方が意見を聞き合うこと、そして落としどころを調整することです。

「その趣味が好きなことは分かるけど、もっと家族に使う時間やお金を増やして欲しい」

「この趣味は止めたくないけど、家族の時間を君たちが大切に思っていることは分かった。趣味はこのくらいの頻度と出費に抑えるよ」

「あ、いや、もっと減らして?」

「え、あ、うん。じゃあこのくらいなら・・・」

 互いに歩み寄り、0-100ではなく50-50や30-70へと調整し合う。これが話し合いです。時に10-90くらいになることもあるかとは思いますが、重要なのは0-100で固定化しないよう互いに譲り合うことです。

 

話し合いは実のところ難しい

 つまり話し合いというのは簡単なように見えてとても難しいです。

 人はつい自身の正しさを確信してしまい0-100になりがちなものです。これを崩すというのは自分の考えを一部なりとも否定するということであり、「どう考えても間違っていると思えるような異なる価値観の相手」が言っていることを虚心坦懐に聞いて多少なりとも理解しなければならないのですから、そう簡単な話ではありません。

 また、話し合いとは双方向的なものであり、片方だけが理解していても意味がありません。相手にも同様の理解が必要であり、やはりどうしても話し合いは成り立ちにくいと言えます。

 

 話し合いが全てを解決するわけではありませんが、それでも何らかの選択に迫られた時には多くの場合で話し合いが必要であり、だからこそ話し合いをする努力は必要だと、そう考えます。