忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

方向音痴に関する余計な考察

 方向音痴とは、方向や方角に関する感覚が鈍く迷子になりやすかったり道に迷いやすい人のことを指します。

 日常的に用いられている言葉ですが、そもそもなぜ音痴という言葉が入っているのでしょう?音痴とは音感が鈍い人を指す言葉であり、方向や方角とは関係がないというのに。

 

順を追ってかたる

 人間は五感の中でも視覚に特化して進化してきた生物ですが、野生動物では人間のように視覚へ頼ることは少なく、多くは聴覚嗅覚によって外界を認識しています。

 人間社会、特に都会に住んでいると分かり難いことですが、夜というのは本来暗いものであり、視覚というのは一日のうちでもかなり長時間に渡って機能が低下する器官です。夜間であっても機能する視覚を持つ生物も居ますが、多くの生物の視覚は夜間になると極端に機能が低下します。

 そのような環境下で外敵を検知して回避し餌を見つけるためには暗闇でも機能する聴覚と嗅覚に頼る必然があります。いえ、生物進化の理屈から言えば逆で、聴覚と嗅覚に優れた生物のみが淘汰されずに繁栄できた、ということです。

 特に聴覚は極めて重要です。嗅覚は外敵や獲物の検知以外にも餌が可食かどうかの判別にも用いられる有益な器官ですが、しかし風向きや環境によっては外敵や獲物の検知が困難な場合もあります。それに対して聴覚は如何なる環境においても全方位を検知可能であることから、今なお聴覚主体の生物が野生には多く生存しています。

 

 人間もかつては昼行性ではなく夜行性であり、さらには暗い森の中で生活していたことから、視覚よりも聴覚と嗅覚が優位な哺乳類でした。

 しかし道具を用いるように進化をするにつれ、森から出て平地で共同生活をするように生活環境が変化していきます。そのような環境では夜行性である利点が無いことから昼行性となり、視覚に頼る機会が増えます。平地で獲物を探すには遠距離を検知できる視覚に頼るほうが合理的ですし、道具の元となる資材を集めるのにも視覚が重要です。

 また明るい平地での共同生活は互いのコミュニケーションが密になることから、相手の表情や態度を把握するためにもやはり視覚が活用されます。食糧が腐っているかどうかも嗅覚頼りでなく視覚が役に立ちます。

 それらの理由で人間は嗅覚が衰退し、視覚が発達しました。

 しかし平地での生活であっても夜間は安全とは言えません。外敵の検知は不可欠であり、そのためにも視覚だけに頼り切ることはできず、優れた聴覚は手放せないものです。

 よって人間は視覚に次ぎ聴覚も鋭敏なまま残ることになりました。夜中にちょっとした物音でも目が覚めてしまったり小さな音が気になって眠れないということがあるのは進化の歴史の名残と言えます。

 

 耳というのは単純に音を聞き分けるだけでなく、音の発生源までの距離や方位も測定することが可能な優れた感覚器です。家の2階に居る時に何かが落ちる音が聞こえて、これは1階のキッチンで食器が鳴った音だろう、というくらいには距離や発生源を識別することが出来ます。

 前述してきた通り、元来より生物は目で地形や星を見て方位を検知するのではなく、耳で聴いて方位を検知するのが自然だったのです。

 方向や方角を検知する機能が優れていないことを意味する言葉にが入っているのは、生物の歴史を踏まえるとむしろ自然なことと言えるのかもしれません。

 

 

 

正しい意味

 

 音痴:音に関して感覚が鈍い人、特定の感覚が鈍いこと

 

 方向音痴は音がうんたらということではないです

 なにせ運動音痴という言葉もあるわけで、方向音痴と音はまったく関係ないです。この"音痴"はただ単純に「特定の感覚が鈍い」という意味合いで使われている言葉です。

 

 

結言

 唐突に作り話を語りたくなった、いえ、騙りたくなったので・・・