「上司 尻拭い」でグーグル検索すると、「上司の尻拭いにうんざり」「無能な上司の尻拭い」というような文字列が並んでいました。ちょっとしたカルチャーショックです。
普通、尻拭いをするのは上司や先輩の側では?
偉い人=強い人、という少年漫画的価値観
尻拭いをするのは上司や先輩の仕事であると思うのは、私が実力主義の蔓延する技術屋の世界で働いているからなのかもしれません。
技術屋の世界では上に昇っていき下に人が付くためには実力が不可欠で、技術が無い奴はずっと下っ端という感覚と風土がある程度あります。それを示すように、日本であろうと海外であろうと、大体どこの研究所やメーカーであっても技術系のお偉いさんは凄い実績を持ったスーパー技術者です。
ポンコツ技術屋が偉くなって権限を持ってしまうと社内も顧客もサプライヤーもエンドユーザーも誰も彼もが不幸になってしまいますので、競争の厳しさはあれどもこの風潮は恐らく良いことだと思います。
とはいえ、どんな人が出世するかはそれこそ企業や職種ごとに様々ですので一般化できる話ではありません。組織政治とは実に複雑なものです。本来的に言えば、技術が優れているよりもマネジメントに優れた人が権限を持つべきかもしれませんし。
なんにせよ個人的には、知識なり知性なり人格なり人心掌握なり、そこで求められている何らかの能力に秀でていない人が偉くなって権限を握ることはまったくもって不幸の種だと思っていますし、技術系の仕事であれば偉い人に技術力があることは必須条件だと思います。
「悪い報告は早く」の意味
社会人の基本のキとして多くの組織が教育していることの一つに「悪い報告は早く」があると思います。
なぜそうすべきかと言えば、
- 悪い状況は時間が経つにつれて悪化していくため、早急に手を打つ必要がある
- 担当レベルで手に負えない炎上は上司や先輩が引き取って消火する
ためでしょう?
となれば上司や先輩は少なくとも部下や後輩の尻拭いができる程度に仕事できるのが当然のはずです。それが出来ないのであれば悪い報告を早く上げさせる意味がありません。
だからこそ、上司や先輩の尻拭いを下っ端がするというような逆転現象はなんとも理解に苦しむ話です。そんな上司や先輩は存在する意味が無いじゃないですか。
ちゃんと成功させる、巧く失敗させる
さらに言えば、人は経験から多くを学ぶ生き物であり、部下や後輩の成長には適切な成功体験と計算された失敗体験が必要です。
もちろん子どもが親の考える通りには育たないように、マネジメントをせずなんでもかんでもガムシャラに体験させたとしても部下や後輩はその経験から知見を吸収して勝手に成長していきます。
とはいえ、より早く戦力となって欲しい、求めた方向に伸びて欲しい、と思うのであれば些かなりとも手を加えなければなりません。自信過剰とならない程度に自己肯定感や向上心が高まるような適切な成功経験を積み重ねさせたり、致命的な落とし穴を事前に塞ぐような安全への配慮を前提として経験しておくべき失敗経験を自らの体で覚えてもらうことはとても有益です。
「自らの力によって成功できた」「失敗したが、自らの力によって克服できた」という経験と自信を与えるためには、忍者のように目にも止まらない速さで道を整備し、忍者のように暗闇に隠れて気配を消す必要があります。
そのためには上司や先輩は出来る奴でなければならないでしょう。人に教えるためには何倍も知っていなければならないのと同様、何倍もの技能がなければ適切な技能教育など出来ようが無いのですから。
結言
部下や後輩に成功体験をさせない、部下や後輩の失敗を放置したり助けない、あまつさえ自分の失敗を押し付ける、なんていうのはマネジメントの放棄に他なりません。それは仕事をしていないのと同義です。口さがない表現を用いれば、能力の無いそのような上司や先輩は無用の長物以外の何物でもありません。
実力主義に染まった苛烈な思想かもしれないですが、ただ、少なくとも能力の大小が社会への影響や人のQOLに関わる部分についてはある程度の実力主義的価値観を用いるほうが世のため人のためになるのではないかと考えます。
まあ、部下や後輩に尻拭いさせるような人は、それはそれで反面教師としての教育効果を見込めるかもしれません。ただ、それは怪我の功名であり、それに最初から頼るような制度設計はやはり欠陥だとは思いますけど。
余談
相変わらず年長者や大人に厳しい考えを持っていますね、私は。