私です。
最近ふと気付いたのですが、一部の若者に話しかける時はかなりの頻度で「どう思う?」という言葉を使っているようなのです。
実にうっとおしいですね。
例えばちょっとしたニュースを雑談の種として振った場合、「なんか笑えるニュースがあったわ、これどう思う?」「こんな怖い事件があったみたい、どう思う?」「あのメーカーがこんなプレスリリースを出したよ、どう思う?」という風に、末尾に付けることでついリアクションを要求してしまっています。
実に面倒くさいですね。
一部の若者(重要)
振る話のネタ自体は目上の人でも同世代でも若者でも同じなのですが、一部の若者相手以外にはこの末尾を付けません。何故ならば聞かんでも勝手に話し始めるからです。
「先日の台風で、あの県で結構な被害が出たそうですよ」
「あー、ニュースで見た気がするな、そんなに酷いのか」
「なんか断水が続いているようで」
「断水はきついな、水はホント重要だからなー。昔さ、うちの近所で・・・」
とか、
「以前退職したあの人なんですけど、今Youtuberやってるそうですよ」
「はえー、マジか。どんなチャンネルやってんの?登録者数は?」
という風に、自然と雑談のキャッチボールが始まります。
一部の若者に同じネタ振りの仕方をすると、はい/いいえ、YES/NOのデジタル的な回答、もしくは「そうなんですか」で終わってしまうことがあるため、ついつい「どう思う?」とキャッチボールの返球を求めてしまうというわけです。
実にうざいですね。
今時の若者はこう、という話をしたいわけではないのです。そんな一括りにして若者を語れるはずもなし、それをやると大体はおじさんの独りよがりな結論になります。
それに全ての若者がそうというわけではなく、やたらと雑談力が高い若者だって沢山居ます。これは一部の若者はあまり雑談を積極的にしないという、善悪ではないただの現象のようなものです。
よって若者云々と説教するような話ではなく、私がなぜ「どう思う?」とつい付けてしまうのかだけを考えてみます。
雑談の効果
そもそも「若者は雑談が苦手」なんて意見はもう10年以上は語られていますし、恐らくもっと昔から言われていたでしょう。
何より、かつて若手であった頃の私は上司や先輩との雑談がそこまで好きではありませんでした。ぶっちゃけて言えば面倒でした。雑談を振られれば対応していましたが、そんな暇があれば仕事しろよと思っていましたし、それは今でも若干思っています。
ただ、今の私は雑談をむしろ効率化のために活用するような思考を持っています。雑談には案外と役立つ効用があり侮れないものです。
いくつか理屈はありますが、今回はそのうち2つを紹介してみます。
■コミュニケーションパスの強靭化
雑談をする相手が居るということは同僚や上司部下の居る組織で働いているということですが、組織で働く以上必ずチームワークが必要になります。
これはむしろ雑談が時間の無駄だと感じるような、仕事ができる有能な人間ほど意識したほうがいいことです。
「人に頼んだら何日も掛かる仕事だって自分がやれば1日で終わる、だから人に任せるくらいならば全部自分でやったほうがいい」と考えるほどの優れた人であれば、簡単で単純で費用対効果の低い仕事は人に任せてしまい、自身はもっと組織の利益を拡大するような難しい仕事をすべきです。それこそが最も効率的な仕事の分配方法でしょう。つまらない仕事を優秀な人がやることは損失です。
つまり、優秀な人ほど仕事を再分配する能力にも長けている必要があります。そして仕事を再分配するためには当然相手に快諾して受け取ってもらうことも効率的に行わなければなりません。仕事の再分配に時間を掛けるほうがよっぽど非効率なのですから。
よって日常的に雑談なり会話なりをしてコミュニケーションパスを太くしておくことは大変に意味がある行為となります。その小さな積み重ねが、気軽に仕事を割り振るための関係性を構築するのです。
■意見を出力する習慣付け
社会は学校とは違い、自分から伝えなければ誰も察してくれないのが普通です。冷酷とか情が無いとかそういうことではなく、学生はお客様ですが社会人はお客様ではないというだけの違いです。
よって大人は自らの考えを理解してもらうため、能動的に情報を発信しなければなりません。
何らかの情報に対して自身の意見を発信するという意味で、雑談は一種の訓練です。
というよりも、社会人が自然と雑談ができるようになるのは自ら意見を発信することに慣れていくからであり、一部の若者を除いて「どう思う?」と聞かんでも勝手に話し始める現象は社会人的には当たり前で普通のことなわけです。
結言
つまるところ、私が「どう思う?」とつい聞いてしまうのは、自らの意見を発信するのは当然だという社会に染まってきたということなのでしょう。
まあ、一部の若者からすればうざいことこの上ないでしょうし面倒なことも重々承知はしていますが、自身の意見を発信する習慣付けというのは案外役立つものですので、うっとおしいと思いつつも少しだけ付き合っていただけると幸甚です。