先日は少し取り扱いにくいテーマである宗教関係の記事を書きました。今日も引き続き宗教をテーマにして記事を書いていきます。
話題の宗教に関して
学問的な視点で宗教を見る習慣があるのですが、ふと、そういえば各所で何かと話題に上がっている家庭連合(統一教会)の教義を見たことがないなと気付き、思い立ってWebサイトを見てみました。
まあ、どのような宗教団体においても、色々な意味でアレであったり公知されてはマズい教義などは通常パブリックには開示せずに内々で頒布するものですので、おそらくWebサイトには触りだけしか書いていないでしょう。
少し読んでみた
あ、まだ数ページですけど読むのやめます。胃もたれしそう。
キリスト教系と聞いていましたが、冒頭から三位一体の否定や聖書の否定、父なる神を超えた父母コミコミの贅沢セットとなると・・・感覚的にはモルモン教やドゥルーズ派、アラウィ―派に近いですね。
モルモン教:信徒数は多くアメリカのキリスト教6大教派に入るほどだが、三位一体を否定し、聖書の他に独自のモルモン書を聖典としていることから主流派からは異端扱いされている。
ドゥルーズ派:辛うじてイスラムと分類されるが、コーランを使わない、ムハンマドではなくハーキムを神格化している、飲酒可、メッカを向いて礼拝しない、輪廻転生を信じるなど、イスラムっぽくないので主流のシーア派とスンニ派から白い目で見られている宗派。信徒数はそこそこ多い。
アラウィ―派:ドゥルーズ同様、そもそもイスラムか?と疑問視されており、コーランを使わない、男子にのみ教義が伝承される神秘主義、モスクが無い、輪廻転生を信じる、聖餐の儀式がある、ラマダンの断食をしない、クリスマスやイースターを祝うなど、自称イスラムの宗派。11世紀のイスラムの思想家が「彼らを殺すことはムスリムの義務である」と述べるレベルで迫害されている。シリア(2022年失敗国家ランキング堂々の3位)ではアラウィ―派が少数支配の独裁をしており、それがシリア内戦の一因となっている。
※フルフィのように日本語Wikipediaが無い神秘主義のイスラム宗派だってある中、ドゥルーズとアラウィ―はどちらも日本語Wikipediaがあるだけまだ知名度が高いほうだと思う。
バリウムくらい飲みにくかった
私の乏しい知性では申し訳ないことにまったく内容が飲み込めなかったので、詳しい方が居ましたら教義についてメール等でご説教いただけると助かります。
完璧な人という偶像
先日の記事では布教・宣教・伝道をする宗教が苦手という話をしましたが、一つ言い忘れていました。
私は個人崇拝系の宗教もちょっと苦手です。
この話を直球で具体例を出しつつ進めていくと色々な意味で素敵な着地点に至れる気がまったくしないので、軽く専門路線に話を逸らしつつ述べていきますが、機械系の技術屋としては「人間は間違える」ことを前提として思考しています。ヒューマンエラーを完全に無くすことは根本的に不可能です。初心者は初心者なりに、ベテランはベテランなりに間違えます。
そのため、神の使徒なり預言者なり高僧なりと様々な偉人・賢者であってもちょっとした錯誤や小さな過ちから逃れることは難しいと考えます。
しかし信仰とは「信じる」ことであり、「信じる」ということは「少しの疑いも持たずにそのことが本当であると思う」ことです。つまり信じる対象は瑕疵が無い存在であるという論理が否応なしに必要となります。
もちろんイデアとしての「完璧な人」は存在するでしょうが、どれだけ「完璧な人」に似せた信仰対象を用意したとしてもそれは真に辿り着くことはなく、偶像(似せて作られたもの)の域を出ることはないのではないでしょうか。
よって個人に依拠した崇拝はその個人の錯誤や過ちまでも巻き込んで信じてしまうリスクがあります。リスクヘッジを考慮すれば崇拝対象が複数であったり、もしくは偉大な何かであったほうがまだ安全サイドです。
結言
以上より、個人的な好みの話ではありますが、原始仏教の「仏陀」や神道の「八百万の神」、もしくはアブラハムの宗教における「絶対神」やアメリカインディアンの「ワカンタンカ」、そういった対象のほうが健全・・・健全というよりはリスクヘッジとして適切だと考えます。
まあ、「信じる」という行為にリスクを思慮してしまうのは論理を重視する技術屋の悪い癖かもしれません。
余談
政治と宗教と野球の話はタブーとされていますが、この駄ブログでは野球以外は取り扱っていくスタイルです。
個人的にはむしろ宗教家のような「私と違うロジック」を持っている人と話すのはとても勉強になるので好きなくらいです。
野球は・・・多少知ってはいますがそこまで詳しくないので、取り上げられないだけです。