忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

人の意見を借用すると不平不満が湧いてくる

「なーなー、マイナンバーカードと保険証の一体化ってニュース、どう思う?」

「まだヤフコメを見てないので、回答は見てからでいいですか?」

「ふぁ!?」

 

 久しぶりのカルチャーショック。

 私はヤフコメの意見を知りたいわけじゃなくて、君の意見を聞きたいんだ。

 

意見を取り入れるとは

 もちろん人の意見を聞くことは大切です。人の話を聞かないのでは偏屈で頑迷固陋な分からず屋に陥りかねません。

 人の意見を取り入れることだって重要です。個人の発想力には限度があるため、集合知に頼って知見を仕入れることには何ら問題はありません。

 

 ただ、<意見を取り入れる>という行動は、すでに存在する自身の意見に対してフレーバーとして付け加えることです。自身の意見を持たずに他者の意見を持ってきて代替するという意味ではありません。それは取り入れるのではなく借用しているだけです。

 つまり意見を取り入れるということは「液体を他所から持ってきて空っぽの器を満たす」ような意味合いではなく、「ロボットに新たなパーツを組み付ける」ような意味合いです。後付けのプラスアルファです。

 

気持ちは分からないでもないが

 他者の意見を借用する行為は合理的ではあります。

 現代の情報化社会では自身が発想し得るよりも遥かに優れた各分野での老巧なるプロの意見を流用したほうが、世間一般で言う「良い意見」となるでしょう。

 

 また現代は昔よりも遥かに失敗に厳しい時代です。迂闊な行為や発言はあっという間に拡散して社会からのバッシングを受ける危険があります。厳密に言えばセーフティネット自体は以前よりも発展しているので、失敗に厳しいというよりは失敗に不寛容な社会へと日々変貌しつつあると言うほうが適切かもしれません。

 よって「これは他人の意見だから(私の意見ではないから)」とリスクを他者に付託できる点で、他者の意見を借用することはリスク管理上有効な戦略です。

 

他者の意見を使うことのデメリット

 とはいえなんでもかんでも自身の意見を持たずに他者の意見を借用してくればいいかと言えば、当然そうではありません。人の意見を借りてくるのは簡単ですが、そこには納得感が発生しないからです。

 

 納得とは、他人の考えを理解して呑み込むこと、得心して内に納めること、腑に落ちること、意見を取り入れること、つまり自らの血肉にすることを意味します。

 もちろん借用してくる意見は自らが同意できると思った意見であり、それに対する理解はあるでしょう。しかし頭で理解していることと納得していることは天地ほどの差があります。借用してきた意見は自らの血肉にできていないため、それはしょせん他人の意見のままに過ぎません。

 人に指示されて行った行動が失敗した場合に責任を受け入れることは難しいように、人のアイデアに基づいて取る行動では面白さを感じられないように、人は他人の意見ではなく自らの内から出てきた考えや行動でなければ納得感を得ることはできません。自らの内から出てきたという感覚だけが納得感を醸成します。

 それは逆説的に、人の意見を借用してばかりでは上手くいっても面白さを感じることもできず、失敗しても責任を覚えることもできず、次第に自己効力感を損ねて他罰的・他責的な考えに陥り、最終的には世の中への不平不満が溜まっていくこととなります。

 それはあまり望ましい終着点ではないでしょう。

 

結言

 何もかも一から自分で考えるべきだということではなく、他人の意見を参考にすることはとても有益な側面を持ちます。

 しかし、他人の意見を用いる場合はそのまま借用するのではなく、たとえ拙くとも、優れていなくとも、自らの内に取り入れて自分の言葉を持って発するほうが納得感を持って世の中に正対できることでしょう。

 

 何も難しい話ではなく、借り物じゃ面白くない、面白くないと不平不満が出るのは至極当然、というだけの話です。

 何事も面白くするためには自分で考えて自分で決めるに限ります。

 

 

余談

 「と、〇〇〇に書いてありました」

というオチを用意したかったのですが、残念ながら同じ意見の人が見つからなかったため、自分で考えた意見をつらつらと述べました。