忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

異文化との遭遇

 アメリカの営業拠点から届いたメール。

「やあ!元気してるかい?」

 お、英語のメールだ。名前からするとアメリカ人か?(普通の推論)

「ちょっと困っててさ、教えてくれよ!」

 まあ困っているなら助けようじゃないか。

「この絵に書いてあるS22ってどういう意味だい?」

 ああ、略語は知らないと分からないもんな。

「検索してみたけど、サムスンのスマホしか引っかからなかったぜ!」

 なんだそのテンション、アメリカ人か?(良くない決めつけ)

 

 明るいノリは好きなので普通に教えてあげました。HAHAHA!って感じのノリ、いいですよね。

 でもお礼の返信は思ったよりも真面目だったのでちょっと困惑。アメリカ人じゃなかったのか・・・?(ステレオタイプ的偏見)

 

 ちなみにS22はサムスンのギャラクシー・・・ではなく、多角形の短い対角線の長さを意味します。Short daigonalのSで、中心を通らない短い対角線が22mmという意味です。

 

文化の違いは難しい

 英語はまあ苦手とはいえ毎日使っているので人並み未満程度にできます。つまりできていないので、ついSorryやらApologizeやらを安易に使うジャパニーズなイングリッシュになってしまいます。

 英語の言い回しが特に馴染まないです。依頼する時の文末にThank you for your helpとか、どうして先に感謝するんだろう?まだなんもしてないぞ?なんて思いますし。

 日本人的感性だと「恐縮ながら御助力ば頂けますと幸甚至極でござ候」と依頼して「僭越ながら一旦手前共で引き取らせて頂き候」と受け取る、謙遜し合うのが美徳だという感覚があるのでどうにも慣れません。

 なんにせよ、あまり下手に出ると逆に失礼だと思うのでこちらもアメリカンなスタイルに合わせますが、敬意の示し方に違いがあるというのはなかなか難しいものです。

 

 個人的に異文化交流で一番戸惑ったのは、韓国企業の社長さんと打合せを行う際に韓国担当の弊社営業マンから指示されたことです。

 「社長の見解に対して絶対に真っ向から否定をするな。ノーから入らず、まずはイエスだ。というかややこしくなるから反論や異論があるなら直接言うな、俺に言ってくれ。俺が上手く伝えるから」

 韓国は儒教朱子学が発展した国だから年上を敬う姿勢を態度で示したほうがいいということ、また徴兵制で軍隊的な考え方を経験していることが理由だそうです。確かに上官の言葉には「いいえ、違います」ではなく「はい、違います」と答えるのが基本ですから、それに従うのが適切でしょう。

 我は強いですが真面目そうなおじいちゃん社長でした。

 

エスノセントリズムの呪縛

 異なる文化や思想信条と触れ合うのは大変なものですが、その意味と価値は大きなものです。異なるものへ触れることによってエスノセントリズムの呪縛から解放されることが特に大きいと思います。

 エスノセントリズムとは自民族中心主義や自文化中心主義と訳される言葉です。自分が育ってきたエスニック(民族)や集団の基準を絶対的なものとしてしまい、他の文化・行動・言語・習慣を理解しなかったり下に見てしまうような態度・思想を指します。

 古くは白人による有色人種差別が代表的なものとされますが、今なお世界中でエスノセントリズムは散見されます。

 エスノセントリズムの反対語は文化相対主義であり、極論ですがある種の価値基準を持って別の価値基準を評価することは一種のエスノセントリズムだと言えます。

 日本人から見て海外の風習をおかしなものだと思い、それを否定するのはエスノセントリズムです。反対に、海外がこうなのに日本はこうなっていないからおかしい、とするのもエスノセントリズムです。どちらもある価値基準によって別の価値基準を判定しているのですから。

 つまるところ、「日本すごい」や「日本駄目だ」のどちらもベクトルが異なるだけの同根であり、<日本人の価値基準だけで物事を断定している>エスノセントリズムに他なりません。

 そしてもちろんこのエスノセントリズムが日本人限定で海外に無いというわけでもなく、世界中で不要な上げ下げが盛んに行われています。そういった上下で文化等を比較することは本質的に意味が無いです。

 

結言

 たとえ自分や自分の所属する集団と異なる考えの人々がいたとしても、彼らは彼らの合理性と論理を持っており、それを否定するべきではないです。

 寛容を持って異なる文化を尊重し、異なる価値観の存在を認め、異なる意見を並べ、侵害し合わないこと。それが争い事を減らし世の平和に資するものだと私は考えます。

 もちろんより良い状態を目指して建設的な調整や言い争いをするのであればいいのですが、相手を駆逐しようとするようなもの、それこそ大は戦争、小は口喧嘩に代表される類のものは、あまり良い結果を生むことはないでしょう。

 

 

余談

 最後に軽い話。

 謙遜が日本人の美徳と書きましたが、若い世代では謙遜する文化は徐々に薄れてきている気はします。「つまらないものですが・・・」なんて今どきの若い子はあまり言いませんし、思っていることはなるべく正直に言うような風潮になってきているかと。

 

 「つまらないものですが・・・」と聞く度に思い出す、子どもの頃の思い出。

妹「お兄ちゃん、このお菓子、期限が切れちゃったの。もう食べられなくていらないから、お兄ちゃんにあげる!」

 君がいらないものは僕もいらないんだよ?