忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「今どきの若者論」に対する不快感の言語化

 若い頃は「今どきの若者論」に対して年相応の言語化できない不愉快さを感じていたのですが、若者ではないこの歳になると多少言語化できるようになってきました。

 年長者からすれば私などまだまだ若造だと思われるかと存じますが、私も若手を指導する立場にある以上、言われて不快を覚える立場から言ってしまって不快を与える立場に変わったことを自覚し、若者へ指導する際に余計な不快感を与えないよう用心することを目的として、「今どきの若者論」に対する若者の不愉快さを自分なりに言語化してみたいと思います。

 

 本論で述べる大人と若者の区分は大まかに成人前後とします。成人を過ぎた歳であれば環境を言い訳にせず自らを変革し自身の結果に対して責任を持てる、自律した一人の大人であると判断します。

 

 本論の結論として、責任はどこにあるのか、そして誰が何をすべきなのか、そういったことが「今どきの若者論」では提示されていない場合が多く、とても単純に言ってしまえば大人の無責任が見え透いてしまうことが不愉快さの根源にあると考えています。

 

権威に対する無自覚

 上司部下や親子、教師生徒の関係であれば大人と若者の権威勾配が明確であり、指摘や叱咤、注意や指導が有効に働きます。

 上司・親・教師といった大人は若者を教育指導する責務を担っており、若者へ教育を施した結果に責任があるためです。若者に対する権威勾配は大人が責任を担っているからこそ納得と理解が生じます。

 ・・・そうではない場合が多々あるのは本論から逸れるのでさておき。

 

 対して「今どきの若者論」が語られる場合は、”個の若者”に対してではなく広く若者一般に対して述べられることが多く、それを語る大人は語りの主題である”大勢の若者"に対して責任を担っていません。酷い場合は発言者が"個の大人"として発言とその結果を責任を受け止める立場に立たず、まるで無色透明の如く責任の無い雲隠れしたような立場から語っていることもあります。

 確かに大人と若者は対等な関係ではなく、権威は年齢の差異からも生じる以上、年長者は多くの場合で若者に対する権威者です。

 しかし先に述べたように、権威勾配に納得と理解が生じるのは年齢の差異ではなく責任の有無であり、若者への指摘や指導は大人がその責任を担うからこそ効果を発揮します。大人に権威があることと、その権威の行使に理解を得られるかは別問題です

 たとえ大人が権威を振りかざしてどのような言説を掲げようが、責任の所在に無自覚な場合は若者が納得と理解をすることはないでしょう。

 

責任の押し付け

 責任の所在に無自覚であればまだ上等かもしれません。酷い場合は責任を若者に押し付けるような言説さえ見受けられます。

 若者にどのような問題があり、その原因の因果関係がどれだけ明確であろうと、その問題に対して若者に責任はありません。それは若者を教え育んでいく大人の責任です。若者がそうなった環境も、そうならざるを得なかった理由も、それらは全て大人たちが用意してきたものだからです。

 大人が若者を愚かだと思うのであれば、それは若者を賢く育てるための教育へ投資してこなかった大人の責任です。

 大人が若者を無気力だと思うのであれば、それは若者が活力を維持できない社会を作ってきた大人の責任です。

 その責任を棚上げして、あまつさえ若者に責任を押し付けるような言説を弄してしまっては、若者からの納得と理解を得ることは叶わないでしょう。

 

責任の取り方

 もっとも不快感の大きい「今どきの若者論」は、若者の欠点や問題を論うことに終始した挙句それで終わらせてしまうものです。

「今どきの若者はこういう環境で育ったからこうなった」

「今どきの若者はこれこれこういう理由で何が足りない」

 若者からすれば自身に責任の無い事柄についてあれこれと言い立てられた上にそれで終わりとなるわけですから、当然愉快な気持ちになりようがありません。そのような「今どきの若者論」は世代間闘争を苛烈にし社会不安をもたらすだけの言説と言えます。

 

 適切な「今どきの若者論」に不可欠な要素は、若者の問題を指摘するだけでなく、その問題を解決するために若者へ推奨する行動の指摘、及びその責任を担うべき大人たちの行動を示すことです。

 特に後者が重要だと考えます。

 

「若者はこのような問題を抱えている、それは私たち大人がこうすることで対処していきたい、だが君たち若者にもこんなことを努力して欲しい」

 

 ただ原因分析をするのではなく、ただ助言を押し付けるのではなく、大人たち自らが責任を持って行動の範を示すことで初めて納得と理解を得られるのであり、それが欠けている「今どきの若者論」では若者に受け入れられることはないでしょう。

 

結言

 若者に不快感をもたらす「今どきの若者論」に不足しているのは、それを語る大人たちの責任に対する無理解、責任の押し付け、無責任な姿勢にあると考えます。

 つまるところ、若者に対しての権威者である大人はその権威を行使する上で責任を担っていることを自覚しなければなりません。それが不足しているから「今どきの若者論」は若者にとって納得しがたい不愉快なものになるのだと、そう考える次第です。

 少し大人に厳しい話となってしまいました。どうにも若者には甘い考えをしてしまうのが私の悪癖です。

 

 まあ、「今どきの若者」は素直で真面目な子が多いので、若者論などを無理に押し付けなくても大人たちが率先垂範、自らの言動に責任を持ち範を示せば素直に受け入れてくれます。