忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

お偉いさんの仕事は病気療養を許すことではなく、病気療養ができる仕組みを作ること

 精神面の不調で国会議員が議員辞職をするか休職をするかという話がありました。辞職すべしという意見や休職で良いという意見、休職を許可した上層部は模範的で素晴らしいという意見や上層部の責任に関する意見など、様々な見解を見かけます。

 今回はその個人や関係者に関して直接取り上げるのではなく、病気療養による現場離脱というメタ的な観点について私の考えを整理していきます。

 

感情と合理の両面

 職務に起因する病気であればストレッサーや原因から離れなければ治りようがないのですから、それはもうとにかく離れて休むのが一番でしょう。病気の人が休むことはまったく問題ないどころか推奨されるべきことだと考えますし、病気の人が休みやすい世の中であるべきだと思っています。これは精神面の不調でも肉体面の不調でも同様です。

 

 私個人としては感情面で「んなもん休ませなきゃあかんだろ、人情とか無いんか」なんて口が悪いことを思うのですが、病気療養が合理的であることも説明してみます。

 昔はどれだけ熱が出ようが骨折していようが這ってでも仕事をするのが正しいとされていた時代もあるかと思いますが、その根性論は人員にバッファが存在していたことが理由です。労働人口が多く多数の人がその仕事を担える状態では自身がそこに居るということがその個人の存在価値を示す指標であり、「そこに居なければ別の人にやらせるけど、もちろん君の座る椅子は無くなるよ」という追放への恐怖が駆動力の一つとなっていました。

 現代は業務の高度化と少子高齢化による人員削減によって少数精鋭での高い労働生産性が重視される時代です。厳しい表現になってしまいますが、戦力にならない人を1人と数えて座らせておく余裕はありません。

 しかし逆に言えば人員の補充が困難であり、すでに育成した人材を容易に追放するような余力も組織にはありません。代替可能な人材をプールできていない以上、戦力の低下した人員は追放せずに一旦後方へ下げて回復を待ち、復活したら再度前線に出てきてもらうほうが合理的な環境となっています。

 病気療養による一時的な現場離脱はある種人材プールの代替的構造を持っているとも言えます。これを許容できない組織は補充人員が確保できず先細りする未来しか存在しません。

 

 実に露悪的で好みではない表現ですが、資源と同様、かつては使い捨ての時代でしたが現代はリサイクルの時代というわけです。

 なんとも、「人間のリサイクル」という言葉は、極めて趣味が悪い表現ですね。

 

責任者の仕事は仕組み作り

 感情面でも合理面でも病気療養による一時離脱は適切だと考えていますが、それを実施する上において重要なことが仕組み作りです。

 当然ながら少数精鋭で働く職場において人員が抜けることは大きな影響を及ぼします。何らフォロー無く人が減れば残った人たちへ掛かる負担は相当なものです。その負担を現場に押し付けるままにしてしまうと否応なしに休んだ人へのヘイトが生まれてしまいますし、ヘイトの発生を避けるために休みにくい雰囲気が蔓延することでしょう。

 そのために上層部が方針を発令するのは必要なことです。「辛い時は休んでいい、復帰したらまた頑張ればいい、病気療養による現場離脱はむしろ推奨する」という組織風土を作るためには上層部からの積極的で具体的な発信が不可欠です。

 

 ただ誤解してはいけないこととして、お偉いさんの仕事は離脱を許すことではなく、離脱が許される仕組みを作って管理することです。許すだけであれば誰にだってできます、「おう、休め休め!」なんて言葉は中学生だって言えるのです。

 上層部は組織運営の責任者であり、代替人材の手配なり人材プールの確保なり多能工化による穴埋めなり、事前に何らかの施策を実施する責務を担います。現場の負担を最小化するための仕組みを構築し、それが適切に運用されるよう管理することこそが責任者の職責です。

 

結言

 「上層部の人が病気療養による休職を許す範を示した」ことが美談のように語られるのは少し本質からズレてしまうと、そう考えます。

 上層部の仕事は休職を許すことではなく、休職できる仕組みを構築することです。責任者がその苦労をせずに抜けた穴を補う苦労を現場に押し付けるようなことはどうにも美談ではないのではないかと、そう考えます。