「お金のために仕事したくない」
先日SNSで見かけた言葉なのですが、珍しく直球で反論してみたいと思います。
仕事っていうのは、お金のためにやるんですよ。
「なぜ仕事をしているか」と「なぜその仕事をしているか」の違い
私自身は子どもの頃からなりたかったエンジニアになるため工学部へ進学して製造業の技術職で就職し、幸いにも技術力があれば余計な横槍の入りにくい会社に就職できたため、技術面の裁量が広く好き勝手自由に仕事をしています。もちろん予算面や経営戦略面、コンプライアンスその他での折衝は必要ですが、少なくとも技術面ではまず茶々を入れられることはありません。
やりたいことをやりたいようにやっている私は、恐らく幸運なのだと思います。
そんな私でも、なぜ仕事をしているかと言われれば「お金のため」だと答えます。なぜその仕事をしているかと言えばそれはエンジニアリングが好きだからですが、なぜ仕事をしているかと言えばそれはもう「お金のため」です。
これは「やるべきこと(must)」と「やりたいこと(will)」を混同してはいけないと考えるためです。
私にとってmustは仕事でお金を稼ぐこと、willはエンジニアリングをすることで、これは別々の軸に存在しています。極論、エンジニアリングは趣味の範囲でもよく、それ以外の仕事だとしても私はやります。
やるべきこととやりたいことは違う
生物にとって「やるべきこと」の最たるものは生きることです。植物が光合成をするように、動物が植物を食べたり狩りをするように、生き永らえることは生物の本能的な行動と言えます。
そしてお金は衣食住を満たし生存を実現するための道具です。つまり人間にとってお金を稼ぐということは原始から形を変えた狩りや採取の一種であり、それは他の生物と同様、生きるための「やるべきこと」に他なりません。
この「やるべきこと」に対して「やりたいこと」という気持ちの問題は重要ではないどころか不純物です。「やるべきこと」がまず根底にあり、その上に「やりたいこと」を積み上げるものであって、「やりたいこと」を優先して「やるべきこと」をやらないという選択肢は取るべきではありません。
例えばライオンが「気が乗らないから今後獲物を食べるのはやめるか」なんて、まず考えないでしょう。精々考えるとしても「今日はガゼルを追う気分じゃないから別の捕食しやすい獲物を探すか」という方向であり、「やりたいこと」に合わせて行動を変えるとしても「やるべきこと」はやる、それが自然です。
仕事も同様です。お金を稼ぐことは「やりたいこと」ではなく、「やるべきこと」に分類される行為です。たとえやりたくなくてもやるべきことです。
「お金のために仕事したくない」という言説はこの点に誤解があります。
仕事によってお金を稼ぐことが「やりたいこと」だと思っており、それを好んでいない、やりたくないと思っているからそう考えてしまうのかもしれませんが、そもそもが逆で、仕事はお金を稼ぐために行う「やるべきこと」であって、お金が好きか嫌いか、やりたいかどうかで考えることではないのです。
それこそ、生存に必要な資産を持っている人であれば仕事をする必要なんてありません。なにせそういった人にとって生存の実現は確保されており、仕事は「やるべきこと」ではないので。
また、なんらかの障害等によって仕事が出来ない人にとっても仕事でお金を稼ぐことは「やるべきこと」には該当しません。本質的な目的は仕事をすることそのものではなく生存を確保することであり、福祉に請求するなり互助を活用するなりがそういった方々にとっての「やるべきこと」となります。
「お金のために仕事したくない」はこれらとは異なり、「やりたいこと」ではないから「やるべきこと」をやらないと言っているに過ぎず、同一視していいものではないと考えます。
「やるべきこと」と「やりたいこと」が一致していたほうが幸福ではある
もちろん人は「やりたいこと」をやれる状態が理想的だと思います。誰だって嫌々仕事をするのは楽しくないものですし、やらなければならないのであればやりたいことをやりたいものでしょう。やりたくないことをやり続けていては心身の健康にもよろしくありません。
また、仕事における自己実現を否定しているわけではありません。それはとても素晴らしいことです。私としても学び磨いた技術力をもって世の中へ貢献することこそが技術屋の本懐だと思っており、真面目に仕事をすることが世のため人のためになることにやりがいを感じています。
「やるべきこと」と「やりたいこと」が一致していたほうが幸福であることには間違いありません。ただ、それが一致していない場合に「やりたいこと」だけを優先して「やるべきこと」を放り出すのは適切な行いではないと、そう考えます。
結言
仕事とはお金を稼ぐ手段であり、それは「やるべきこと」です。よってなぜ仕事をするかと言えば、それはお金のためなのです。お金のために仕事をするという「やるべきこと」をやりつつ、それにさらなる意味をどう持たせるかは人それぞれです。
「やるべきこと」とは別の軸に「やりたいこと」があり、それを大切にすることは人生の質を高めます。しかしそれは「やるべきこと」をしなくてもいい免罪符にはなり得ないことを注意しなければなりません。私たちは「やるべきこと」の上に「やりたいこと」を上手く乗せられるような選択が必要です。
同様の話
やりたいこととやりたくないこと、そしてやるべきこととやるべきではないことは軸が異なるという話。