忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ストレスは分散して軽減することが望ましい

 恐怖に対して動物が示す反応に、戦うか逃げるか反応(fight-or-flight response)があります。これは外敵や生命の危険といった回避すべきストレス事態に動物が直面した際、肉体や精神に変化が起こる反応です。英語ではfight-flight、日本語では闘争・逃走反応と語呂合わせがされている、学者先生のユーモア溢れる用語でもあります。

 闘争(fight)・逃走(flight)と呼称されてはいますが、実際は立ち向かうことや逃げることに限定されず防御をしたり死んだふりをしたりといった行動も含意している、危機的状況に対する動物の身体的・精神的反応全般を表現する言葉です。

 

現代社会での本能の空回り

 戦うか逃げるか反応は危機的事態を脱して生命の存続を図るために発生する本能的な作用です。

 緊張した時に体が震えて呼吸数が増えて心拍数が増加するのは身体機能を活発にすることが目的であり、視野が狭まり聴覚が弱まるのは危機の対象に集中するため余分な感覚器官を制限しているためです。胃の調子が悪くなるのは闘争や逃走に消化器官は重要ではないため肉体が無視するようになるからであり、不安や緊張時に人が攻撃的になるのもこの戦うか逃げるか反応の一環とされています。

 

 つまるところ、危機的事態を脱するために肉体や精神が様々な応答を示すことが戦うか逃げるか反応ですが、これはかつて自然で生活していた野生動物であれば役立っていたものの現代社会ではそこまで役に立つ本能的反応ではなくなってきています。古代の自然環境とは異なり現代社会で直面する危機的事態の多くは直接的な生命の危機ではありません。よって戦うか逃げるか反応は過剰反応になりがちです。

 また戦うか逃げるか反応は危機的事態を回避するため極度に心身へ負担を強いるものです。自然における外敵や驚異は比較的短時間で解消できていたことからその心身への負担は無視できる範囲でしたが、現代社会では戦うか逃げるか反応が生じるようなストレス事態が長期化しており、本来は自身を守るための本能的反応が逆に誤作動によって自身を痛めつける結果となってしまっています。

 

 余談的ですが、人間に限らず他の動物でもこの誤作動が問題になっています。

 詳細な統計は無いものの、ロードキル(動物の交通事故死)で亡くなってしまう動物にはネコ・タヌキ・シカが多いと言われています。これは立ち止まり型と呼ばれる、戦うか逃げるか反応による身体反応が原因です。

 身体能力や回避速度に優れた動物は危機を観察して対応を判断しようとするために肉体を硬直させるのですが、現代の車は野生動物の本能に刻まれるほど直面してきた危機の対象よりも遥かに速いため、悲しいことに回避が間に合わず轢かれてしまいます。

 

抑制ではなく軽減

 以上のように戦うか逃げるか反応は現代社会にそぐわない過剰な反応が問題となりますが、しかしながらこれは本能的な反射であり抑制は極めて困難です。

 また、数少なくなったとはいえ直接的な生命の危機には役立つ特性でもあることから、無くしてしまうよりも上手く付き合っていく方法を考えたほうが建設的でしょう。

 

 天敵と長時間向かい合うような動物は存在しないことから、戦うか逃げるか反応は本質的に短時間を前提としたものです。

 よって自身が戦うか逃げるか反応を生じたと感じた場合、可能な限りストレッサーとの暴露時間を分散し、負荷を軽減することが効果的です。

 

 例えばストレスが目先の状況であれば、気を紛らわせる行動を取ったり、気持ちが落ち着く定型行動を決めておいてそれを行うことなど、自己情動調整を積極的に行うことが望ましいでしょう。

 私はストレス源に接してしまったり接しなければならない状況に陥った場合は無理やりにでもユーモアやジュークを行使し、笑いによって正常性バイアスを意図的に働かせています。

 これは人それぞれやりやすいやり方がありますので、自分に合った方法を取るのが良いでしょう。

 

 ストレスが日常的なものであれば、とにかく分散するためにストレスから離れる方法が必要です。忘我できるほど好きなことをやる、一時避難先を用意しておく、相談先を設ける、仲間を作る、これらもやはり人それぞれやりやすい方法がありますので、自身に合った方法を取るのが理想的です。

 いっそ本能に従って闘争や逃走を選ぶことも良いかもしれません。それは戦うか逃げるか反応に暴露し続けるよりは健全な行動と言えるでしょう。

 何はともあれとにかく必要なことはストレスを分散することです。常にストレスへ暴露し続けていると戦うか逃げるか反応が継続されてしまい、心身ともに耐えられない負荷が掛かり続けてしまいます。まずは本能的な身体反応を落ち着けること、ストレス源への対処はその後に行うべきです。

 免疫機能が暴走すれば人は容易に死ぬように、生物が本来持っている能力や機能は自身を破壊するほどの力を持っています。まずはそれを抑制することが最優先でしょう。

 

 ちなみに私は狂犬なのでストレス源には噛み付く派です。もう少し立ち止まり型になったほうが人として良いかもしれません。

 

結言

 ストレッサーを意識し過ぎない、暴露時間を短くするため分散する、これは何も特別な話ではなく当たり前のことではありますが、とはいえそうすべきであると意識していることには大きな意味があります。ストレスを感じて良いことはそうそうありませんので、可能な限り軽減していく方法を模索していきましょう。

 

 

余談

 普段の記事では本題から逸れた本筋に書きにくいことを余談で書いていますが、今回は本当の余談、真なる余談を書きます。

 

 "反応"と文字を変換するときに"飯能"と出ると、埼玉県民感を感じます。読みにくい地名の一つですよね。

 

 びっくりするほど余談でした。