忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

いつの間にかの600記事

 此度は『ぶろぐ』なるものを始めて早六百日。倦みもせず飽きもせず、日毎夜毎に弁を弄し、数え数えて六百記事。何をそんなに語ることがあるのやら、一体全体疑問は尽きせぬというもの。

 いやさ尽きぬからこそ止まらぬ言葉、童が如き好奇心、自由気ままな方言高論の太平楽にございます。たわ言ざれ言なんのその、時に珍妙、度々奇怪、洒々落々な道化の言ではございますが、何卒ご海容の程を賜りますようお願い申し上げる次第。

 とまれかくまれきっかり六百、これがまた多いのやら少ないのやら。なんともどうにも述べ難きことではござり申すが、なに俗世をくるりと見晴るかせば御覧の通り、上を見れば切りもなく、下を見れば果てなきもの。向かいに新進のぶろぐあらば、後ろに屹然たるぶろぐあり、他所様とその多寡を比較するようなものでもなかろうて、此度は唯の目安の区切りの時点に過ぎませぬ。

 なにはともあれ百で割り切れる、これは如何にも切りがようござんす時期にございます。沸いて祝うでもなし、粛として寿ぐもなし。数の大小に欣喜雀躍せず常と変わらぬ行住坐臥にて語り申す次第にございます。

 健康に勝る幸福は無しと申しますように、兎にも角にも日々息災にて更新できておることをば喜びましょう。

 

 

普段使わない語彙を適当に使うのは楽しい

 仕事や日常では使えないですからね。

 それにしても、私が普段使わない語彙を使おうとすると嘘っぱちの講談調になるのは何故なのでしょうね。多分リズムが好きなのでしょうが、不思議です。

 

気付けば600記事

 さてさて、これでブログを始めて600日、記事は数えて600記事だそうです。

 他人事のように述べてはいますが、少し他人事のような気分です。「はぁ、キリがええのぉ」程度には思いますが、自由気ままにやっているだけですので感慨にふけることでもありません。

 なんにせよ毎日ブログを更新できる程度に健康で、心身共に余裕があることは有難いと感じます。健康は失って初めて分かる有難さの代表格的な所がありますので、失う前の今のうちに喜んでおきたいものです。

 

 この駄ブログでは100記事毎を区切りとしてなんとなくの到達アナウンスをしています。これには山のように深く海のように高い理由があるのですが、ろくな理由が無いことがバレてしまうと恥ずかしいので開示するのは控えておきましょう。

 他所様がやっているのを見て、ブログではそういう文化があるのだと誤解しただけです。継続しているのはコンコルド効果です。

 

(100記事)

(200記事)

(300記事)

(400記事)

(500記事)

 区切りの記事では雑談的で変な文章を書くようにしています。

 「じゃあ普段の記事は変な文章じゃないのか、まさかまともな文章を書いているつもりなのか」と問われれば答えに窮しますのでご勘弁ください。「作麼生!」と問われれば「説・・・破ぁ・・・」と弱弱しく答えるくらいには窮します。

 ・・・そもそも「そもさん!」「せっぱ!」ってどの程度知名度があるやり取りなんでしょうね?

 

 なんにせよ、趣味的な文章を趣味的に書いている趣味的なブログを趣味的に続けているだけなので、何も立派なところはなく目出度いわけでもない区切りではございますが、今後ともこの駄ブログをご笑覧いただけますよう、何卒よろしくお願いいたします。

 

 

余談

 100日刻みで区切っていると○周年が使い難いので悩みどころ。

 1年が365日なのが悪いです。365を素因数分解すると5×73であり、とにかく割り切りにくい!73みたいな工学的に使い勝手の悪い素数が混ざっている数を日常的な数字として使うべきじゃないと思うのです。600日を周年換算すれば、600/365=120/73周年、小数にすると1.64383561643836周年ですよ。キリが悪いにもほどがあります。

 時間はその点優秀です。24や60は約数がいっぱいありますし、素因数分解しても2・3・5しかない割り切りの良い数字です。365日君も時間君を見習ってほしいものですよまったく。