忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「祈り」に対する捉え方

 新年あけましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いいたします。

 

 年始一つ目の記事には少し重いテーマですが、私が帰省する度にいつも思索へ浮かんでくる「祈り」について、少し考えを述べていきます。

 

幼い頃の思い出

「母さんはよくお祈りをしているけど、僕はそういうのは正直言うと信じていないんだ。祈るよりも行動をしたほうがいいと思ってるし、どうにもならないことはどうにもならないと思ってる。だから、母さんには悪いんだけど一緒にお祈りをすることはあんまり期待しないで欲しいんだ」

「うん、無理強いはしないよ。でも、あんたはまだ若いから分からないかもしれないけど、お祈りが必要な時はあるんだよ」

 

 母方の家系はそこそこに宗教へ熱心な家だったため、私の母も毎日お祈りをしていました。仏教の用語で言えば勤行(ごんぎょう)です。

 勤行で具体的に何をするかは宗派によって違いますが、御経や経典を唱える読誦(どくじゅ)がメジャーな勤行です。母は毎日仏壇の前で唱えていましたし、今でも唱えています。

 

 幼い頃はそれがとても嫌いでした。

 何かに祈る暇があるのであれば人事を尽くすために行動すべきですし、人の意思が物理的作用を持つなんていうのは非科学的ですし、何よりも読誦の時間が母の時間を奪っている、いや、もっと子どもらしい自己中心的な気持ちで母さんとの時間を奪っていると思っていたからです。

 だからこそ一緒に読誦をしようと言われても嫌がっていましたし、何かしらのイベントごと、例えば体育祭や受験などで、母や祖母から「熱心にお祈りをした」と言われるのも嫌いでした。

 二人のことは好きで、だからこそその気持ちを否定したくはなかったため笑顔でお礼を言っていましたが、イベントの結果は私の努力次第なのだから祈り自体にはなんの意味も無いと、心の中では考えていました。

 

「祈り」の目的

 人は大人になるにつれ、先を見据える遠い視点を持ち、手の届く物事が増え、様々な経験に裏打ちされた論理を携えます。

 そうして子どもの頃よりも広がった世界は、しかし子どもの頃よりも明らかに茫漠で、遠くは見えず、手の届かない事柄はあまりにも多く、経験ではどうにもならないことが無数にあります。出来ることが一つ増える度に出来ないことが十は増える、そんな世界です。

 「若いうちには分からない」という母の言葉にも大人になってからは得心がいきます。世の中、大人が人事を尽くすのは当然のことであり、しかしそれだけでは到底関与し得ない広さと深さが物事には存在しています。

 幼い頃の私は「どうにもならないのだから祈っても意味が無い」と思っていましたが、大人になるにつれて「どうにもならないのだから祈る」ことの意味が徐々に分かってきたような気がします。

 

 子どもの頃を思い出せば、母も祖母も何かを祈る際は必ず出来ることを全てやってからでした。また、祈るのは自分以外に対してでした。病を患った知人や、苦境にある友人、苦難に向かう家族のために祈っていました。

 病の友人へは足繁く通い、苦境にある友人には手を貸し、苦難に向かう家族は励ます、ただ天命を待つのではなく当然人事は尽くす。しかしその範囲を超える事象については祈る以外ない。

 それは祈る本人の気持ちの平穏に資するものであり、しかしそれ以上にそこには愛があったのだと、あれは神仏への嘆願ではなく人の愛だったのだと、歳を重ねて初めて分かるようになった気がします。

 

「祈り」の捉え方

 私自身は中観派寄りの仏教観かつアニミズムの混交した思想を持っており、『どうにもならないことはどうにもならないまま自然に受け入れる』考えではありますが、子どもの頃と違い今は「祈り」についてさほど否定的な気持ちは持っていません。それが必要な時、それが必要な人は居るものです。

 

 そして「祈り」とは、ただ天に身を任せるものではなく、非科学的で物理的な効果を期待するものでもなく、出来る限りやった結果を受け入れる方法の一つなのだと、そう捉えています。その「祈り」には利己のみでなく利他と愛があり、そういった「祈り」は全くもって無駄ではないと、そう考えます。

 

 私も自身について祈ることは今後も無いでしょうが、誰かの健康や成功を祈ることができる人間ではありたいものです。

 もちろん人事は尽くせる範囲で尽くした後に。

 

 

余談

 私がさらに歳を重ね、出来ることが一つ増える度に出来ないことが十は増えるのではなく出来ないことが増えていくようになればきっと捉え方は変わるのでしょう。