忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

話をするよりも、話を聞きたい時もある

 元旦。

 日も昇りきらないまだ早いうちから車に乗り、祖父の居る病院へ赴く。

 今回の地元への帰省は祖父に会うことが主目的だ。

 

コロナ禍

 祖父は昨年病気を患ったため、今は入院している。

 幸いにして大病というほどにはならず、無事に治療は終わっている。

 ただ95歳という高齢のため、かなり足腰を弱めてしまっているらしい。自儘に歩けない状況では退院することもなかなか難しく、しばらくは病院かセンターでのリハビリが必要になるだろう。

 人は歩けなくなると途端に元気が無くなってしまうらしく、祖父は相当気が滅入っていて、口数も減り、ベッドから起き上がるのも億劫になっていると親族からは聞いていた。

 

 すぐにでも顔を見に行きたかったが、現在はコロナ禍、院内でのコロナ感染拡大を防ぐために面会は禁止されている。そのためビデオ通話で顔を見るくらいでしばらくは祖父と直接会う機会を作ることができなかった。

 しかしながら今回、年始であれば少しだけ面会を許された。

 日程の調整や面会の手配には人脈を用いている。いや、単純に親族がその病院に勤めているだけではあるが、まあ、その伝手というか、根回しを行ってもらった。

 よって元日の早朝から近所の病院に赴かせてもらった。

 そのような経緯である。

 

面会

 恐らく医療機関がやっているのだから効果はあるのだろうが、意味が有るのだか無いのだかよく分からない感染防護措置をアレコレと行われた後、移動式の無菌室のような空間に私だけ放り込まれた。

 てっきり患者側に防護措置を施すものかと思っていたので少し驚きだが、確かに何かしらの処置をするのであれば自由が利く健常者側に施すのは合理的なのだろう。

 

 そのような状況で、しばらくぶりに祖父と面会をした。

 相当痩せてしまっている。服の上からでも分かるくらいに細い。何年も前から徐々に失われつつあるのは理解してはいたが、幼少の頃、躾のために毎日私の頭をぶん殴っていた腕も、畑仕事で鍛えられていた脚も、加速度的な老化を感じさせる細さだった。

 ただ、幸いなことに体調がだいぶ回復していたのか、事前に伺っていた話を覆すように祖父は起き上がってベッドの端に腰かけ、少ししんどそうに、しかし想像していたよりもしっかりと話し続けてくれた。

 もちろん話の内容はそう大したものでもない、昨日食べた年越しそばの話や、リハビリが大変だという話、料理に対する一家言や昔の思い出など、そういった日常的な話だ。

 相槌を打って聞いていただけであっという間に面会の時間は終わってしまったが、その間祖父はずっと話し続けてくれた。

 

 耳はもう何年も前から遠いので、こちらの言葉があまり届かないのは気にならない。伝えたいことは大きな声でゆっくりと何度か言えば伝わるし、そもそも私は今の祖父に何かを伝えたいとは思っていないので、それはいい。

 お喋りな私は子どもの頃から祖父に色々と話したいことを話してきたのだから、もう私の分は充分だろう。残りは祖父の話を聞くことだけをしていたい。

 

結言

 祖父は幸いにしてまだ自力で食事もできるし、今は少し弱っているがリハビリをすれば歩くことだってできる。元々健啖家で酒飲みの頑丈な人ではあったが、95歳としては実に元気な部類だと思う。

 もちろんいずれはお迎えが訪れるにせよ、それまでの健康を私は祈っている。

 年始早々から私は「祈って」いる。