ジャーナリズムの機能として挙げられる「権力の監視」。
まるで錦の御旗かのように声高に語られる「権力の監視」とは、一体どこで定められたもので誰が認めたものなのか、見かける度に疑問を感じてしまいます。
過去にも同様の記事を書いたことがありますが、今回はまた別の視点から見ていきましょう。
例として国際ジャーナリスト連盟が1954年に採択、1986年に修正した「ジャーナリストの義務に関するボルドー宣言」では、ジャーナリストが守るべき義務をいくつか挙げています。
◆ Status of Journalists and journalism ethics: IFJ principles - IFJ
大まかにまとめると以下のようなことが義務として挙げられています。
真実の尊重、国民の真実に対する権利の尊重
情報の正直な収集と自由な公開、公正なコメントと批判の権利を擁護
出所を知っている事実に基づいて報道、重要な情報の抑制や改ざんの禁止
公正な手段による情報の入手
不正確な情報の修正
秘密裏に入手した情報源の秘匿
差別を助長するような報道を避ける
盗作、悪意のある虚偽、誹謗中傷、名誉棄損、根拠の無い告発、贈収賄の禁止
政府又は他者によるあらゆる種類の干渉を排除
権力からの干渉を排除することは書かれていますが、ボルドー宣言ではどこにも権力の監視という言葉は入っていません。権力の監視がジャーナリストの義務的なものとは考えられていないことが分かります。
ジャーナリズムの倫理規範
報道・ジャーナリズムはその影響力と重要性に比さず、士業のような認定プロセスがあるわけではなく誰でも名乗ることができる仕事です。
当然その点はジャーナリズムの業界において十分に留意されており、前述の国際ジャーナリスト連盟の宣言を代表に、各団体や報道各社は行動指針・倫理規範を厳密に定めています。
とはいえそれが統一的な基準を持っているわけでもなく、各国・各団体・個人個人によって重視する方向性や規範は異なるものです。
例として、日本のWikipediaでは次のように記述されています。
また、ジャーナリズムの主要な役割に「権力の監視」があり、監視の対象である国家権力にルールの制定・運用を委ねることは不適切でもある。
英語版のWikipediaにも報道倫理のページがありますが、そこでは「権力の監視」は記述されていません。
"Truth", "accuracy", and "objectivity" are cornerstones of journalism ethics.
「真実」「正確さ」「客観性」はジャーナリズム倫理の基礎である。
Common elements
(報道倫理の)共通要素
Accuracy and standards for factual reporting
事実関係の正確さと報道基準
Slander and libel considerations
誹謗中傷への配慮
Harm limitation principle
損害制限の原則
英語では「権力の監視」を「番犬」や「監視員」を意味するウォッチドッグ(Watchdog)と言います。
Wikipediaを例とした上述のように、この「権力の監視」「ウォッチドッグ」は日本での言説においてはジャーナリズムの目的として語られることが多いですが、海外ではジャーナリズムの一ジャンル、ジャーナリズムの手段として語られることが多いです。
もちろん前述したように各国・各団体・個人個人によって重視する方向性や規範は異なるものであり、海外にも「権力の監視」を重視するジャーナリストはいます。ただ、少なくとも義務的なルールとして主要団体の規範には採用されていません。対して日本の報道機関では権力の監視を規範として明記しているところがあります。
ウォッチドッグ機能を否定するわけではないが
海外でウォッチドッグが主要な役割とされていないからと言って、それが重要ではないと言いたいわけではありません。
公権力の乱用を監視する最も適した機関は報道機関であり、ジャーナリストが権力者へ媚び諂い情報の制限に同意するようなことがあっては民主主義が成り立ちません。報道機関が権力と距離を置き、ウォッチドッグの機能を果たすことは民主主義にとって必要不可欠なことです。
ただ、ジャーナリズム倫理の基礎である「真実」「正確さ」「客観性」はより重視されるべきだと考えます。
ウォッチドッグ機能を手段ではなく目的だと認識している場合、それは明確に「客観性」を損ねています。権力を監視するためには権力の反対側に立つ必要があり、それは真に客観の位置とは言えないでしょう。
また、目的意識が暴走してしまった場合はとにかく権力を監視すればいいと誤認し、「真実」や「正確さ」を忘れて根拠や証拠の存在しない状態で疑惑を騒ぎ立てるようなイエロージャーナリズムに陥る危険もあります。
繰り返しとなりますが、ジャーナリズムのウォッチドッグ機能を否定しているわけではありません。
ただ、ジャーナリストは「第四の権力」である意識を十分に持ち、まずは自らを監視する姿勢が必要だと各ジャーナリスト団体の倫理規範が示していることを留意願いたいと、そう思っています。