てんやわんやでいっぱいいっぱいなので、緩い話をして気分転換。
常識知らず
趣味程度のレベルではありますが私はトリビアや豆知識をそこそこ知っていますし、エンジニアですので自然科学に関しては専門的な知識も持っています。
ただ、はっきり言って私は常識知らずの専門馬鹿です。普通の人が当然知っているべきアレソレをあまり知りません。そのためマナーや常識を問われる状況が苦手です。
と、冠婚葬祭の度に感じます。
今回は大人げない言い訳をします。
気持ち冷めた目で読んでいただけますと幸甚です。
工学の目的と営み
エンジニア的な物事の捉え方は世間一般のマナーや常識とは少しそぐわないところがあります。
エンジニアリング、すなわち工学とは『何かしらの果たしたい目的や解決したい課題』に対して『誰が見ても一意に分かるような共通言語としての数学・科学』を用いて達成する、そういった営みです。
なぜ工学が自然科学を代表とした数学・科学を用いるかと言えば、まさにこの点、誰が見ても一意に分かることを重視しているためです。
より良い環境、より良い事物をただ作るだけであれば、極論ですが個人の才能に依存すればいいです。アルキメデスが都市シラクサに様々な機械を作ったように、天才が居れば都市一つだって大きく変貌させることができます。
しかしそれには持続性がありません。何十年も良い環境を継続し、何百年も良い事物を作り続けて公共の福祉と安全に資するためには個の発明家が生み出す煌びやかな成果だけでは足りず、同じような技量を持つ人を連綿と鍛え、同じような思考ができる人を何代も育んでいかねばなりません。
そのためには誰が見ても一意に分かることが不可欠です。同じ記号を使い、同じ単位を用い、あの人が見てもこの人が見ても同じ意味で理解でき、どこの国の誰がやっても同様の成果を出せる状態が肝要であり、環境や事物を構築し、維持し、改良し、変革していく、その連環を作り上げることこそがエンジニアリングの真髄です。
つまるところ、エンジニアの基本的な思考には画一的な基準と統一的な理解、そして明瞭な情報の伝承が根底にあります。
マナーや常識は難しい
工学は明確な基準とルールを事前に学ぶことが前提にありますが、マナーや常識はその場で問われることが多く、私からするとまるでクイズのように感じます。
さらに言えば、マナーや常識は状況や地域的な風習によって定まるものであり、定式化されておらず、口伝で伝承されることも多いものです。場合によってはその時々の空気で決まることすらあります。
これがエンジニア的には難しいのです。
「そんなの常識だろ!」
「この程度のマナーも知らないのか!」
と言われましても、それはどういう規格に基づいて、どこにどのように書いてあり、どうやって定型化して伝達されているのか、そういったことが分からないため普段の感覚との乖離を感じてしまい理解が阻害されるのです。
こういう時はこうするべきだというフローチャートを書いておいて欲しいし、何をどういう風にどういう手順でやるべきかのアルゴリズムをはっきりして欲しいし、いっそ数値化して方程式にして欲しいくらいです。
もちろんマナーや常識に関して記述された書籍やwebサイトは多数あります。
ただ、これらの多くはパターンの網羅性が無く、「こういう時はこうだが、例外もある」「宗教や宗派によって異なる」という但し書きが大抵存在します。
そこが気になって仕方がないですし、実際に現場ではズレていたりするのでとてもモヤモヤします。
無茶苦茶な言い訳をしていることは重々承知です。
大人なのですから、知らないほうが悪いのです。
つまり私が悪いのです。
結言
「なんであんたはそんなことも知らないの!」
と、母や姉から冠婚葬祭や行事の度に怒られるので、少し辟易。
怒りつつも教えてくれるだけ愛を感じるのですが、できれば怒らないで教えて欲しい・・・
余談
父も私と同様にあまり常識の無いエンジニアで、よく母から怒られているので、私が常識知らずなのは遺伝かエンジニアの職業病だと思います。(最後まで言い訳)
考えてみると、お役所仕事って親切ですよね。(混乱)
はっきりしたフォーマットがありますし、手順がカッチリ決まっていますし、私のような常識知らずにもちゃんと教えてくれますし。
少し間違えただけで手続きが止まる頑迷さはありますが、フワフワしたところが無いのはエンジニア的にありがたいです。