忘れん坊の外部記憶域

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伝統に支配される必要はないが、捨てることもない

 日本は世界で最も伝統を重んじない国家です

と言うと様々な異論反論があるかと思いますが、一応これは統計データに基づく見解です。

 

 5年に一度結果が発表されている社会学の国際プロジェクト「世界価値観調査(World Values Survey)」の結果から作成された文化マップがあります。

 文化マップの縦軸はTraditional vs. Secular Values(伝統的価値観 vs 世俗的価値観)です。そしてこのマップで日本は最も上、すなわち世俗的価値観に重きを置いており伝統的価値観を重視しない位置にいます。

 

 とはいえ日本に住んでいる人からすれば、日本は伝統的なしきたりや行事が日常的に存在している、極めて伝統的な国だと思う人もいることでしょう。

 過去記事にもあるように種明かしをすると、この統計は「宗教」と「国家に対する誇り」を重視している社会を”伝統的”と呼称しています。もっと砕けた表現で言えば「権威主義」でしょうか。

 この基準であれば、確かに日本はそこまで伝統的な社会とは言えないかと思います。

 

このマップが示唆するもう一つの視点

 世界価値観調査からも分かるように、日本ではあまり宗教や国家が重視されていません。「人生において神は非常に重要であるか?」という質問にYESと答える人はそこまでいないでしょうし、「権力・権威をもっと尊重したいと考えているか」と聞かれてもYESと答える人はやはり少ないでしょう。

 

 しかし、これを別の視点で見れば、そういった価値観を重視している社会が日本の外には存在することを意味してもいます。

 グローバル化の伸張する現代では伝統的であることを良しとする文化圏との交流が不可避である以上、私たち世俗的な日本人としてもそれを無視することはできません。

 

 日本とは正反対の位置にいる、すなわち伝統的価値観を重んじる中東を例としてみます。

 多くの中東国家において権威権力を所有して政治経済を支配している層は「王族」です。政治指導者層は王族で固められており、彼らの所有する企業が国家の経済を担っています。

 そういった”高貴な方々”は下々の者とは簡単に言葉を交わしません。国際儀礼において国家元首(国王・大統領)は同格ですが、王族からすれば大統領ですら”庶民の代表者”に過ぎない以上、どうしても扱いが一つ下になります。

 これは良い悪いで語る話ではなく、彼らはそういう伝統的な貴族的価値観を持っているだけの話です。しかし当然ながらそれを無視して交渉などを行うことはできません。

 

 日本は中東においてそこそこのプレゼンスを確保していますが、その理由はここにあります。中東の王族からすれば東の隅っこにある島国に過ぎない日本の相手を彼らがするのは、日本が伝統的な皇室を抱えていることが理由の一つです。日本と中東の官民ともに膨大な努力の上で関係性が構築されていることは論を俟たないですが、日本の皇室外交はその入り口となる大きな意味を持っています。

 

内から見た伝統と、外から見た伝統

 貴族的価値観を持つ社会とやり取りをする場合にはその価値観に敬意を表する必要があります。儒教的伝統を持つアジア社会と交渉する際は序列関係に充分留意しなければなりませんし、氏族文化を持つアフリカ社会で氏族関係を無視することは不適切です。

 たとえ自らが伝統を重んじないとしても、伝統を重んじる文化を軽んじて不寛容に扱うことは適切ではありません。

 

 私自身はそこそこに伝統を重んじる価値基準を持っており、必要に応じて変革を行いつつも伝統自体は慎重に保持すべきだと考えています。

 とはいえ伝統を重視しない人の意見も分かりますし、同意するところも多々あります。伝統に支配されて雁字搦めな社会よりは自由な社会であることを望んでもいますし、七面倒くさい伝統なんて捨ててしまえと思う人がいることも理解します。日本の世俗的なところは気楽なので私も好きです。

 

 ただ、伝統を嫌う人からすれば気に入らない意見でしょうし、伝統を強く重んじる人からすればとても功利主義的な意見になるので恐縮ですが、世界には伝統を重んじる社会が多く存在する以上、伝統的なものを残すことには意味がある、と私は考えます。

 何も伝統に支配される必要はありませんが、だからといって伝統を捨て去ることもなく、内外ともに納得がいくよう伝統を保持していく。そういった姿勢も良いのではないかと思います。